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コロナから「なにを」守るのか──なにが最重要なのかを決めないかぎり,対策のしようがない

2022-08-26

CoVID-19の感染拡大がはじまって,もう3年目だ。あのとき高校一年生だった私も,もう三年生。この期間,マスク着用やワクチン接種などの「コロナ対策」がおしすすめられ,「コロナにかかると苦しい症状が出る」「まわりに感染させてしまう」「いつかは終わる。それまで我慢を」と言われつづけてきた。重症化するとたいへんなことになるし,さまざまなつらい後遺症があるといわれる。

その一方で,「コロナはただの風邪だ」とか「メディアが恐怖をあおりすぎた」という意見も目にする。

CoVID-19は怖い病気だろうか。いや,それよりも問うべきことがある。もし怖い病気だとして,では,どうするのか。

もはや「本質を問わなければならない」段階だ

たとえば,私が新潟の海に泳ぎに行くとする。しかし,当日は悪天候。高速バスを降りるやいなや,激しい雷の音が耳をつんざく。こうなれば私は海で泳ぐことをあきらめ,新潟のカフェにでも寄って帰りのバスを予約することだろう。私にとって海で泳ぐことは,悪天候を突っ切ってまでやりたいことではないからだ。

そんな私でも,「この障壁を突っ切ってまで,やる価値があるか?」と問わざるを得なかったことがある。私はいま通信制の高校で学んでいるが,それまでは総合技術高校の商業科で,簿記などの商業科目を学んでいた。ちなみに,商業科目は当時の得意科目だった。

さて,私にはどうしても転校しなければならない事情があった。そのとき必然的に,「おなじ商業科のある高校に転校するのか,学校で商業を学ぶことをあきらめるのか」の二択をせまられることになった。全日制高校間の転校には条件がある。しかもふたたび入試を受けないといけない(注・当時調べた,または聞いた話。高校や自治体によって異なるので,じっさいに転校を検討している方はこれを参考にせず,ご自身でお調べいただきたい)。あえてその条件をつくり,ふたたび入試を受けてまで,商業科に転校したいのか?(注・この記事を書くにあたって調べたところ,どうやら通信制高校でも商業科目を学べるところがあるらしいことがわかった。しかし,生徒募集の仕組み上,当時の私が転入できたのかは分からない)

結局私は,商業科目をあきらめて転学先を探した。商業科目を高校で学ぶことははそこまで重要でないと,当時の私が判断したからにほかならない。

さて,CoVID-19対策はどうだろうか? どう考えても,順調に進んでいるとはいいがたい。感染の拡大は止まらぬ一方で,三年にわたる抑圧と繰り返された恐怖により,社会のいたるところにひずみが生まれている。感染対策の本質的な意義を考えなければならないのではないだろうか?

コロナから「なにを」守る?

さて,この「コロナ対策」,CoVID-19からなにを守ろうとしているのだろうか? なにをぜったいに避けなければならないのか?

「命や暮らしを守る。そう決まっているじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。だが,命と暮らしでは,どっちを守らなければならない? 「生きてさえいれば,暮らしがどうなってもいい」という人もいるだろうし,「暮らしが壊れるくらいなら,いっそ死んだほうがましだ」という人もいるだろう。CoVID-19のパンデミックは,このように問わなければならない段階に来ているのではないか?

では,ぜったいに避けなければならないこととはなにか? もし「CoVID-19が原因で多くの人が亡くなること」であれば,CoVID-19が原因でさえなければ,どれだけ多くの命が失われてもいいのか? 暮らしがなりたたなくなることだとしたら,(SARS-CoV-2の危険性にもよるが)「感染対策」を撤廃するか,まったく新しいかたちの対策案(たとえば,県境を封鎖して県内だけで経済活動するとか)を打ち出すことはできないか?

すくなくとも,「なにを守らなければならないか」「なにをぜったいに避けなければならないか」を定めなければ,「対策」などしようがない。守るべきものが明確になっていない以上,守ることなどできないからだ。


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