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ブログ

大韓民国訪問記

西洋紀元2023年12月3日

旅客機は広大な滑走路に降りると,轟音をあげて制動をかけた。私を乗せた旅客機は,大韓民国の仁川(日本語読み:インチョン国際空港に着陸したのである。

はじめて踏む異国の地に心を踊らせながら,私は搭乗橋を渡った。通路を進み,エスカレータを降りる。たくさんの自動扉が一列に並んでいて,そのどれもが開いていた。扉の向こうには,列車の座席が見えた。空想科学映画に登場しそうな,異世界ゆきワープ装置の搭乗口のようだと思った。

これはたしかに搭乗口といえば搭乗口だが,言ってしまえばただのホームドアである。わが国でよく目にするホームドアは,腰あるいは背丈くらいの高さしかない。しかし,韓国で目にするホームドアは,스크린도어(カタカナへ翻字:スクリーンドアというだけあって,駅の天井までを覆っている。この方式を,フルスクリーンタイプという(ウィキペディア ホームドア)。扉の上には表示画面があり,行先や案内が表示されている。

私が乗り込むと,すぐに韓国語で案内放送が流れ,扉が閉まった。この車両で移動したのち,入国審査を受けることになる。

入国審査に必要な文書は,すでに機内で記入を済ませていた。車両から降りたあと,通路にある記帳台の掲示を見て,書類に不備がないかを確かめる。私は大韓民国の国民ではないので,Foreign Pasport外国旅券の意)という掲示がある列に並ぶ。

申請書と旅券を係員に手渡し,読取機に両手の人差し指をかざす。旅券には入国審査済のステッカーが貼られ,扉が開いた。韓国政府は,私を善良な旅行者とみなして入国を許してくれたようだ。

仁川国際空港

搭乗前に預け入れた手荷物は,入国審査のあとに受け取ることになる。私は手荷物を預け入れていなかったため,そのまま先へ進んだ。

私はソウル駅に行きたい。しかし,どうやったらソウル駅に行くことができるかわからない。館内案内端末に駆け寄り,表示言語を日本語に変更して,交通機関を探し出した。

空港鉄道とやらがあることはわかった。しかし,それにどこから乗ればいいかがわからない。案内図には現在地の表示がなく,したがって空港鉄道の乗り場へたどりつく方法がわからない。

困惑して右往左往していると,税関の申告窓口の先に出口があるのを見つけた。出口か。案内端末によれば,乗り場は地下にあるそうだ。いったん空港の外に出てから,地下鉄の入り口を探せばいいだろう⸻と長野電鉄長野駅のようなものを想像しながら出口をくぐると,そこはまだ空港のなかだった。

ここでいう出口とは,空港の建物からの出口ではなく,空港の保安制限区域からの出口ということだったのだ。わが国でもよく見かけるファストフードや喫茶店チェーンの看板が並んでいる。

さて,私は券売機で,ソウル駅までの直通列車の切符を購入した。この列車は全席指定で,自分で席を選ぶことができない。私にあてがわれたのは,窓側の席だった。

なお,直通列車が最も早くソウル駅に到着できるわけではないことに留意していただきたい。直通列車は本数が少なく,私の場合は先発の一般列車を利用すれば,ソウル駅に早着できるはずだった。

列車はすぐに,高速道路と併走することになる。高速道路を走る自動車よりも,この列車のほうがおおむね遅い速度で走行している。私は窓枠に肘を置き,異国の情景に浸った。

列車は走り続け,車窓には高層建物群が見える。韓国では,高層の集合住宅が多いと聞いたことがある。これも集合住宅なのだろうか。同じ高さ,同じ様式の何十階もありそうな高い建物が,五棟から十棟ほども並んでいる。

車内には,観光情報や広告を表示する画面が備えつけられている。ニュースなどが各国語で表示されたあと,竹島(韓国名は独島)を韓国が領有することの正当性を主張する政府広報が,英語で表示されていた。

ソウル駅

仁川国際空港を発って四十分ほど経過すると,列車はソウル駅に到着した。

エスカレーターを昇り,巨大な通路に出た。天井は高く,筒のような形をしており,ガラスで採光していたと記憶している。開放感のある駅舎だ。JR長野駅の東西連絡通路をさらに大きくし,階段を取り払ったような感じだろうか。

通路の左右には免税店やファストフード店が並んでいた。 改札口があり,韓国鉄道公社(KORAIL)の乗降場へ続いている。

構内を歩いていると,軍人を見かけた。迷彩柄の服を着た若い男性。服には韓国の国旗が縫いつけてある。韓国には徴兵制度が存在し,一定年齢の男性は兵役に就かなくてはならないのだ。ここ韓国では,軍というものが驚くほど身近なところにある。

厳しい規律に服し,敵の侵攻に武器をもって備える。隣の国の若者には,この過酷で重い義務が課せられているのだ。私が八百キロメートルばかり西に生まれていたら,いまごろは頭を丸めて軍服を着て,厳格な軍規のなかに身を投じなくてはならなくなっていたはずである。

駅を出る

目的地までは地下鉄も通っているが,徒歩で行くことにした。韓国の都市を歩きたかったからである。

まず目についたのが,監視カメラの多さだった。韓国では,いたるところに監視カメラがある。

韓国では監視カメラを,CCTVと呼ぶ。CCTVというのは閉鎖回路テレビジョンという意味の英語を略したもので,カメラと受像機あるいは録画機が直に接続されているということである。このCCTVが,街のあらゆるところに設置されている。

到着の搭乗橋を渡ってから出発の搭乗橋を渡るまで,私の行動は一秒の漏れもなく,いずれかの監視カメラにとらえられていただろう。例外は,ホテルの部屋と便所の個室にいるときのみである。

なぜ監視カメラの存在に気づいたかというと,監視カメラを作動させている旨の表示板があったからである。帰国後に監視カメラについて解説したナムウィキの記事を読んだ。韓国では,公衆をカメラで監視するさい,その旨を明確に表示しなくてはならないそうである(ナムウィキ CCTV)。韓国はあちこちに監視カメラが置かれているぶん,監視カメラの設置や運用が国家権力によってきびしく規律されているのだ。

空はどんよりとしていて暗く,薄い雲や霧のようなものにおおわれていた。視界が悪く,遠くを見渡すことができない。

歩道橋から街を眺める。平穏な日常の風景である。だが,軍事境界線の向こうには北韓の地が続いているのだ。休戦協定から七十年,いまだに軍事的緊張は終わらない。

南大門市場

さて,私は近道をしようと思い,賑っている通りに入った。あとで知ったことだが,ここが南大門市場というところらしい。

監視カメラに見つめられながら異国の地を歩いていようと,腹は減るものだ。私は屋台でトッポッキを買い求めた。トッポッキ(韓国語で떡볶이餅炒りの意)は,餅を炒めて甘辛く味つけした料理である。店主は私が日本からの観光客であることを見抜き,日本語で話しかけてきた。

韓国の屋台では,日本からの観光客にはおまけで汁をくれる。現地の同胞やほかの観光客に提供する食材を漬けていた汁だ。汁を飲んでもトッポッキの辛さが中和されないと思ったら,汁そのものも辛かった。

店主に礼を言い,ふたたび通りを歩きはじめた。大勢の人々が行き交っている。地元の方もいれば,観光客もいるだろう。たくさんの衣服が衣紋掛けに掛けられ,店頭につりさげられていた。旅に必要な衣服は,ここでひととおり揃うのではないだろうか。

屋台もたくさんある。主に韓国独自の軽食を売る屋台と,甘い菓子類を売る屋台があった。

Jewelryという看板をかかげた店もあった。宝石や装身具などを売る店なのだろう。時計を売る店もあった。

建物のあいだに,薄暗い路地が続いていた。どうやらここにも小売店がありそうな様子だったが,異国の地で暗い路地に入る勇気はなかった。

私はコンピュータなどの電子機器に興味があり,電子機器を売る店がないかと探した。しかし,南大門市場には電子機器を売る店を見つけることはできなかった。

韓国の喫茶店

韓国には喫茶店が多い。街を歩くと,コーヒーを意味する韓国語の커피や,英語のCOFEEという文字が目に入る。

備えつけの端末を操作して注文する方式の店が多かったように思う。端末はたいてい,日本語に対応している。

喫茶店の机は小さく,店内でコンピュータを開いている客を見かけなかった。友人と来て談笑している人が多かったと思う。

店内は白を基調とした内装で,明るい電気照明に照らされていた。私は席に着くと,白色の照明の下で旅行指南書を開いた。

韓国では,아메리카노(カタカタへ翻字:アメリカノ,すなわちアメリカーノが主流のようだ。いわゆる通常のコーヒーは品書きになく,아메리카노だけということも多い。

この아메리카노は,わが国の喫茶店で供されるアメリカンコーヒーとは異なる,独特の味がする。言葉で表現すると,薄いけれどもコクのあるコーヒーといえるだろうか。酸味が抑えられていて,苦味もあまりない。

アメリカーノはアメリカンコーヒーと異なり,エスプレッソを湯で割ったものである(ウィキペディア アメリカーノ)。

地下鉄に乗る

移動に必要だったので,私はソウルの地下鉄に乗ることにした。

韓国は地下街が発達している。駅構内は飲食店や衣服店がいくつも営業しており,小さな商店街のようなありさまだった。どの店も看板は古く,店員はおおむね高齢である。何十年も昔から営業しているようだ。

韓国では,あらかじめ入金して使うICカードが普及しているが,私は一回きりの切符を買った。東京や大阪にあるような地下鉄乗り放題切符は,ソウルにはない。そして,なんと一回用の切符もICカードなのである。目的の駅に着いたら,払戻機に入れて保証金五百ウォンを受け取る。

払戻機は縦長の長方体で,筐体は金属製である。この払戻機といい,街なかで見かける公衆電話といい,機器類の筐体が金属でできていることが意外だった。

ICカードを改札機の読取装置に触れ,改札を通った。改札機は回転式である。読取られたICカードで通過しても問題ないとコンピュータが判断したら,内部の留め具が外れ,金属棒の回転を許すということだろう。

車内は,東京の地下鉄ほど混雑していない。座ることもできただろうが,降車駅が近いので立つことにした。

乗り換え駅では,案内のさいに音楽が流れる。豊年という題の音楽である。この音楽が,地下鉄の案内音とは思えないほどの美しい音色なのだ。

外国人にも韓国語で

韓国の店では,外国人に対しても韓国語で話すことが多い。日本語を運用できる店員は日本語で話しかけてくれるし,空港やホテルでは英語で案内される。しかし,街なかの喫茶店などでは,店員はほとんど韓国語で話す。英語で声をかけて,韓国語で返ってくることもあった。

これは,不親切なことに思えるかもしれない。しかし考えてみれば,私はみずからの意思で国境を越え,物見遊山で韓国の地に踏み込んだ身なのだ。日本語や英語で意思疎通を図ってもらえることを期待してはならない。わが国にも,郷に入っては郷に従えということわざがある。韓国で韓国人に韓国語で話しかけられても,不満は言えないだろう。

木村護朗クリストフ氏は自著のなかで,わが国においても,外国人に対して日本語で話しかけることを提案している(木村,2016,224から230頁)。自分たちの言語に誇りを持ち,旅先では現地の言語を尊重することが重要だ。

龍山電子商街

つづいて私は,龍山(読み:ヨンサン電子商街を訪れた。龍山電子商街は電子機器を扱う店が集中している区域であり,わが国でいうところの秋葉原電気街や大阪日本橋のでんでんタウンのようなところだ。

龍山駅を出て歩道橋を渡ると,たしかに電子機器関係の店が多く見えた。道路に面した店では,CCTV(すなわち監視カメラ)や記憶媒体,中古スマートフォンやジャンクのコンピュータなどが売られている。

建物内部の通路にも入った。入口附近では新品のコンピュータが売られていたものの,奥へ進むと商品の箱が置かれているだけになり,作業員や事務員らしい人とばかりすれちがうようになった。

階段を昇ると,従業員用の空間という雰囲気はさらに強まった。中古品らしきラップトップが積み上げられていた。値札はない。別の部屋では,何人もの作業員がコンピュータに向かっていた。

街を歩いて探したが,秋葉原でよく見かけるような中古コンピュータ屋を見つけることができなかった。個人用コンピュータについては,ぴかぴかの新品や,逆に起動も望めないようなジャンク品を売る店は見かけたものの,使い古されたが壊れていない中古のコンピュータというのは,少なくとも観光客が容易に見つけられるかたちでは売られていなかった。

一方,中古のスマートフォンを売る店をいくつか発見した。値札はなかったので,おそらく店員と交渉して値段を決めるということだろう。

電子部品を売る店も探したが,見つけることができなかった。

無線機を売る店もあった。アマチュア無線のほかにも,免許不要の規格(わが国でいうところの無線電話用特定小電力無線局のようなもの)に適合した無線機が売られているのだろう。アマチュア無線機をここで買って持ち帰ったとして,わが国で簡単に開局できるとは限らない。回路図を添付して申請しなければならないかもしれないし,四級の資格で運用するには改造が必要になるかもしれない。

韓国の電子機器といえば,興味深いものを見かけた。タッチパネル搭載の折り畳み式携帯電話である。乗客のひとりが,列車内で折り畳み式の携帯電話を開き,画面に触れて操作していた。携帯電話を閉じてからしばらくして着信音が鳴ると,かれは携帯電話を開いて耳に押し当て,여보세요(カタカナへ翻字:ヨボセヨと言った。日本語でいうもしもしに相当する語だ。ちなみに,韓国では車内で電話することはマナー違反とはされていない。

ボタン式なので操作しやすそうだし,おそらくSignalやLINEなどのメッセージアプリも動作するだろう。

仁川市街

まだ時間があったので,仁川市街を訪れることにした。

仁川というと,まっさきに仁川国際空港を想像してしまう方もいらっしゃると思うが,じつは仁川は港町でもあるのだ。

ソウル地下鉄一号線は地上に出て,韓国鉄道公社の一号線とつながり仁川に通じている。平日の日中だからなのか,車内はさほど混雑しておらず,空席が目立った。わが国では一般的に中づりの広告がつりさげられている位置に,行先や次駅を表示する装置がつけられていた。

高層建物の間を抜け,川を渡り,列車は走り続けた。仁川駅である。

仁川駅を出て横断歩道を渡ると,急な坂道が続いており,中華料理店が並んでいた。中華街である。

PCと大きく書かれた看板があった。韓国の街に慣れていないと,PCバン(インターネットカフェのようなところ)なのかコンピュータ屋なのか見分けがつきにくい。

韓国の中学生

仁川駅に入ると,十代の若者が何人も並んで歩いていた。そのうちの一人が,日本語で話しかけてきた。私が日本からの観光客であると知られたのは,日本語で書かれた旅行指南書を持っていたゆえなのだろうか。

かれらは中学生で,呪術廻戦というアニメが好きだという。自国の作品が隣国の人々に愛されていることは,嬉しく感じた。

韓国の制度でも,中学生の年齢は十二歳から十五歳である(文部科学省)。大人びていて,十代の後半くらいに見えた。

青春を謳歌する少年たちも,あと十年ほどで兵役に就くことになる。かれらは,やがて来る兵役をどのように見ているのだろうか。

参考文献

改訂履歴

  1. 2023年12月26日