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台湾訪問記

空の旅

今回,私が利用したのは,日本国でも中華民国でもない国に本社を置いている某航空会社である。

旅券と搭乗券を係員に示して,搭乗橋を渡る。幼いころに本で見た,宇宙船に乗り込む飛行士の写真を思い出す。成層圏を突き抜けて宇宙に旅立たんとする飛行士もまた,このような搭乗橋を渡っていたのではないだろうか。なんだか,空想科学で描かれるような,いささか現実離れしたところに来てしまったような気がする。

搭乗券に示された席に座ろうとして,想定外の事態に気づいた⸻私が座るその列には,窓がないのである。空からの眺めを見たくて窓側の席を指定していたので,窓がないとは遺憾である。機体について調べてから,席を指定するべきだった。

旅客機は誘導路をゆっくりと進み,数十分ほどかけて滑走路にたどりついた。そのあいだ後ろの席では,親が子に,飛行機が飛ぶ仕組みを教えていた。親子むつまじく空の旅を楽しむとは,なんとも微笑ましいことである。

旅客機は滑走路を駆けた。かん高いエンジン音が響き,次いで加速を感じる⸻旅客機はついに,空へと舞い上がった。

シートベルト着用サインが消灯すると,机を開いてシステム手帳を置いた。旅の計画を確認したあと,少し書きものをする。

客室乗務員が,カートを押して通路を歩いてきた。菜食者向けの軽食も提供されていたが,私はすでに空港で食事を済ませているため,注文したのは水だけだった。

三時間ほど飛ぶと,旅客機は台北へ向けて降下を開始した。機内販売を終了するむねの案内放送が流れ,シートベルト着用サインが点灯する。

隣に座っていた乗客が,かばんを膝の上に置いた。すると,機内を巡回していた乗務員が,そのかばんをつかんで取り上げようとしたのである。

これには非常に驚いた。離着陸時には,手荷物は上の棚,あるいは前の座席の下に置かなければならない。これは当然のこととして知ってはいたが,違反したときに荷物を力づくで取り上げられるとは,想像していなかった。

わが国の国内線であれば,まず考えられないことだろう。しかしこの行為を,乗客に対する非礼として非難することはできないように思われる。

そのとき旅客機はすでに降下をはじめていた。一刻の猶予もなく,乗客を着陸に備えさせなければならなかったのである。この国際線では,乗客の解する言語もさまざまである。英語で,日本語で,中国語で⸻などと意思疎通を試みる時間はなかったのだろう。

台湾桃園国際空港

中華民国の空の玄関口は,臺灣桃園國際機場(台湾桃園国際空港)である。日本語圏では桃園空港と呼ばれる。ももぞの空港と読んでしまいそうになるが,日本語で一般的には,とうえん空港と音読みされるようだ。

入国にあたっては,期間や連絡先,滞在地などの申告が求められる。これは,どこの国でも同じことだ。しかし中華民国の場合,空港の記入台には申告用紙はなく,代わりに申告用ウェブサイトのURLを示す二次元コードが印刷され置かれているだけだった。

当局が設置した公衆無線LANが使用できるむねと,その接続方法が掲示されている。台湾で使えるSIMカードがなくても,申告できるということだろう。しかし,すべての訪問者がスマートフォンを持っているとは限らない。では,スマートフォンを持っていない訪問者は,必要な事項をどのようにして申告すればいいのだろうか。

審査の列に並んで約十分,私の番がやってきた。旅券を渡すと,顔写真と指紋をとられただけで,すぐに入国が認められた。係員は,私になにひとつ尋ねることはなかった⸻さきに申告した情報は,すでに当局に伝わり,処理されていたようだ。

旅券には,査証免除で九十日間の滞在が認められるむねの印が捺されていた。中華民国当局も,私を善良な旅行者とみなしてくれたということだろう。

入国審査を終え,税関を通ると到着ロビーに出る。申告すべきものを持っていなかったので,申告不要の通路を通った。税関吏に呼び止められることはなかった。

私は腹を空かせていたので,空港内のフードコートに行った。案内係に尋ねると,韓国料理店を指さして,ここの店は菜食を提供してくれるという

鍋料理を注文する。受け取ったのは,豆腐がふんだんに使われた巨大な鍋と,白米が入った茶碗だった。かんたんな軽食のようなものを想像していただけに,食べきれるか不安になる。

韓国風の辛い鍋に,肉のかわりに豆腐や湯葉が浮いている。菜食ではタンパク質が不足しがちとはいわれるが,この料理は豆腐や湯葉などが多いため,充分なタンパク質をとることができそうである。

食べてみると美味しく,十分ほどで平らげてしまった。食器を返却して,MRTに乗って台北駅へ向かう。

MRTとはmass rapid transit,すなわち大量高速輸送の略である。字面は空想科学の世界を思わせるが,役割はわが国における地下鉄と同じようなものだ。

切符を買い,乗る列車を確かめる。この桃園機場捷運(桃園空港MRT)には,普通列車と急行列車がある。急行列車に乗る場合でも,追加料金は求められないようであった。

列車が動き出した。窓外には市街地が広がっているが,すぐに郊外の景色へと変わる。工場や住居が並び,夕陽に照らされている⸻なんと幻想的な眺めだろうか。

美しい景色にみとれているうちに,日は暮れていく。夜の闇のなかを,列車は進みつづけた。

列車が台北市街にさしかかると,窓の外が明るくなった。看板や建物の窓がきらきらと光っている。到着を知らせる音声が流れた。

台北車站駅は,地下街を通じて臺灣鐵路管理局(中華民国の国営鉄道)の台北駅とつながっている。地下街には店が並び,衣服やかばんが売られている。

スマートフォンケースや保護フィルム,充電器などのスマートフォン周辺商品を売る店もあった。電気街でもスマートフォン周辺商品は多く売られていたから,台北ではこれらを買い求める人が多いのだろうと推測した。

台北のゲストハウス

地下街を出て階段を昇った。何台ものバイクがいっせいにエンジン音を立て,目の前を駆けていく。

最初は,わが国でもみられる暴走族のようなものかと思った。しかし通ぎ過るバイクの列を見るうちに,どうやら暴走族ではないだろうと推測するに至った。たしかにみな目にもとまらぬ速さで二輪車を疾走させているが,あえて爆音を轟かせるわけでもないし,交通秩序をことさらに無視するわけでもない。

暴走族の抗争に巻き込まれることを恐れていたが,交通事故にあわないよう気をつけるだけでよさそうだ。この結論に達するまでに,何十台のバイクを見送ったかわからない。では,さっそく宿に向かうことにする。

台湾の住所体系は,欧米や韓国と同じく,道路名と住居番号を用いる。長い道路はで区切られるほか,名がつけられていない小路は,分岐元ととなる大通りの名に数字とをつける。例えるなら,長野大通り二段4巷9号のような住所表記になるのである。住居番号は通りの片側が偶数,もう片側が奇数となっている。

建物には,道路名と住居番号が刻印された板がつけられている。交差点には看板があり,交わる道の名だけでなく,何番から何番の住居番号がどの方向にあるかということも記されている。これは非常にありがたい。おかげで私は,この旅のなかで道に迷うことはなかった。

私はすんなりとゲストハウスにたどりつき,宿泊の手続きを済ませた。宿の主は日本語に通じている。

温暖な気候ゆえ汗だくになっていた私は,いの一番にシャワーと洗濯機の使い方を尋ねた。寝台の位置を確かめ,すぐにシャワーを浴びる。

便所とシャワーが同じ部屋にあり,それぞれが個室として区切られていた。つまり,シャワーを浴びているとき,薄い区切りの壁をはさんだ向こうには便器があるのだ。

着替えや荷物が濡れないように,しっかりとかばんの口を閉じる。日記帳やコンピュータなど,濡らしてはいけないものも入っているのだ。蛇口をひねり,できるだけかばんに水がかからないようにシャワーヘッドの位置を調節する。ぬるい水が裸体にふりかかった。この時期の台北は暑いので,湯を使う必要はない。

洗濯機や乾燥機の使い方は,わが国のコインランドリーで見かけるものと同じである。私は日本語を第一言語としており漢字を読めるので,英語表記がなくてもすぐに使い方がわかった。洗濯機に洗濯物を入れて扉を閉め,投入口に硬貨を入れて開始ボタンを押す。洗濯が終わったら洗濯物を乾燥機に移し,扉を閉めて温度選択のボタンを押して硬貨を入れる。

台湾で私が利用したコインランドリーでは,乾燥時間はあらかじめ決められていなかった。投入した硬貨のぶんだけ乾燥機が作動する仕組みで,ここでは新台湾ドル十元あたり十分である。二十分くらい乾燥させておけば大丈夫だろうと思い,十元玉二枚を入れた。訪問当時の為替相場では一元が約五円なので,約百円で二十分間乾燥機を作動させられる計算になる。

このゲストハウスで洗濯機や乾燥機を使えるのは二十一時まで。結局二十分では乾かなかったが,二十一時が近づいてきたので,翌朝に乾かすことにした。

ここは,非常に快適で過ごしやすいゲストハウスである。白を基調とした明るい内装で,主人もたいへん友好的である。書店も併設されており,宿泊客には日本語の本も貸し出してくれる。どこか知的な雰囲気も感じさせる宿であった。

電気街を歩く

台北の八徳路一段やその43巷および82巷,新生南路一段12巷,忠孝東路二段121巷には電子部品やコンピュータを売る店が集中しており,電気街を形成している。

忠孝新生駅という,いかにも真人間に生まれ変わりそうな名前の駅でMRTを降りる。そして一番出口から出て,忠孝東路二段121巷を北に進むと,電気街にたどりつく。

新生南路一段12巷と忠孝東路二段121巷の交わりから北東に,國際電子廣場(国際電子広場)と呼ばれる地下商店街への入口がある。

階段を一段ずつ降りてゆく。地下に降りるときはいつだって,本能的な恐怖が呼び起こされる。太陽の光が届かぬ地下に降りれば,壁の向こうは地にふさがれているのだ。

国際電子広場では,地下一階と地下二階に電子関係の店が並んでいる。店の商号も扱う品目もさまざまだったから,国際電子広場の所有者ないし管理者が,各店舗の運営者に区画を貸出しているのではないかと推測する。

店舗はだいたい十時ないし十一時から開きはじめるようだ。休業ないし廃業しているように見受けられる店舗も少なくはなかった。

携帯型の音声トランシーバといったものを売る店が目立つ。アマチュア無線がさかんなのか,それとも仕事上で無線を使うことが多いのか。そもそもこれらの無線機は,どういった規格の電波を送受信するものなのだろうか。商品の箱に書かれた漢字を見たが,用途や規格を推測することはできなかった。

意外なことに,本⸻それもおそらく古書とみられるような本を売る店もあった。さらに意外だったのは,電子工学の本ばかりではなく中国語の辞書も売られていたのである。そしてさらに意外だが,商品棚には中国語と日本語の辞書(日中事典や中日事典)もあった。

この辞書を欲しいが,バックパックに入りそうもないほど大きい。買ったところで,持って帰れるだろうか。そんなことを考えながら値札に目をやったら,目ん玉が飛び出そうになった。日本円にして一万円ほどの値がつけられていたのである。

この巨大な本は,おそらく希少価値ゆえにこの値をつけられているのだろう。紙は黄ばんでいて,文字はわずかにへこんでいる⸻活版で印刷された本だ。この本は,少なくとも私より年上ではないだろうか。結局,大きくて高価なので,この本は買わなかった。

西門街の文具店

私はMRTに乗り,西門に向かった。

西門駅を出ると,看板に書かれた「文具」という文言が目にとまった。「文具」のまえには,漢字が二文字書かれている。

これは文房具店ではないだろうか。どうやら店は地下にあるらしく,下りの階段が続いている。階段を降りて店内に入ると,やはり文房具店だった。

入口附近には,学童向けの売場があった。さらに進むと,事務用品の売場に出た。現金出納帳や,借用証書の用紙といったものが並んでいる。

私はルーズリーフの売場を探した。ちょうどルーズリーフを必要としていたうえ,どうせ台湾に行くのだから,台湾製のルーズリーフを使ってみたいと思ったのだ。

売場には,大きさや罫のさまざまなルーズリーフが並んでいた。なかでも目についたのは方眼罫の多さである。台湾では,方眼罫が人気のようだ。

A5判で横罫のルーズリーフはないだろうか。探したあげく,売場に並ぶ商品のなかからひとつを手に取った。樹脂製の包装には,こう印刷されていた⸻活頁紙⸻適用 A5規格 4.20孔等夾具

バインダーは手元になかったが,ここ一年間ほぼ毎日使っていたものだ。紙にうがたれた孔を見て,私のバインダーに適合するだろうと推測した。

台湾製と記されたルーズリーフ⸻中国語では活頁紙という⸻を二種類手に取り,勘定台へ向かう。複雑な漢字を使う言語事情ゆえか,罫の間隔が広いように見受けられた。

西門を訪れた目的は,獅子林商業大樓(獅子林商業ビルディング)で中古の携帯電話を見ることだった。

西門は,観光客を含む多くの人でにぎわっていた。歩道に虹色の縞模様が描かれ,各一色を地に一字ずつ白色でTAIPEIと書かれている。さらに歩くと,大混雑のなかに足を踏みいれることになった。

獅子林商業ビルディングの一階には,中古のスマートフォンや携帯電話を扱う店が集中している。なにか面白そうなもの⸻たとえば,Replicantを入れられるスマートフォンとか⸻はないかと思って,建物内を歩いた。

スマートフォンではない携帯電話も売られていたが,使える言語は中国語と英語だけではないか,と思った。そのほかには,私の興味をひくものは見つけられなかった。

中古スマートフォンの売価は,わが国における東京秋葉原や大阪日本橋と比べると,やや高いように感じられた。

台湾新幹線⸻台湾高鉄に乗る

台北市の南港(南港)から高雄市の左營(左営)まで,台湾本島の西側を南北に台灣高速鐵路台灣高鐵,あるいは高鐵と略される)が走っている。これは,わが国の新幹線の技術によってつくられたこともあって,日本語では台湾新幹線と通称されている。

高鐵専用の改札口やプラットフォームがあるところも,わが国の新幹線と同じだ。幼いころ,親に連れられて長野駅の新幹線改札口を通ったときのことを思い出す。はるか東京への旅路がはじまる。胸を高鳴らせながら,きっぷを改札機に入れたものだった。

オレンジ色の線が入った車両が,ゆっくりとプラットフォームに進入した。左営ゆきの列車である。

列車に乗り込んだ瞬間,妙な懐かしさをおぼえた。床や壁,座席の文様は,幼いころに乗った新幹線あさま号を思わせた。

年齢が一桁のころ,年に一回くらい新幹線に乗っていた。旅の目的は観光ではなかったが,それでも遠くの地へ行けるということが私の心を高揚させた。いまでも私がいろいろな地を訪れたくなるのは,このときの経験ゆえだろう。

切符に記された私の席は,通路側だった。行きの飛行機では窓が見えない窓側で,高鐵では通路側か。台南まで約二時間,車窓は隣の乗客にさえぎられている。私は,国から持ってきた本を開いた。

音楽が流れ,到着案内の音声が聞こえる。中華民国当局が定めた標準語(國語)のほか,いくつかの言語で放送され,さいごには英語が聞こえる。この英語の発音は,わが国の鉄道における案内放送のそれとはわずかに異なっている。

異なっているのは発音だけではない。開く扉の方向を案内するときに,わが国では⸻そして,かつて訪れた韓国も⸻left sideright sideという言葉を使う。左側右側という言葉を訳したもので,私は違和感なく受け入れてきた。

さて,ここ台湾ではleft hand sideright hand sideというように,handをつけて言うのである。英語は事実上の共通語となっているが,それでも国や文化によって違いがあるということか。思えば,韓国を訪れたたときには,出口の英語表記がexitではなくWay Outとなっていることに驚いたものである。

列車が台中駅に近づいたころ,車内販売がやってきた。わが国ではほとんど見かけることはなくなったが,台湾では車内販売が続いているようだ。私はコーヒーを頼んだ。

私が乗ったのは最前の車両であった。ときどき警備員が通路を歩いてきて,運転室の扉に異常がないかを確かめていた。警戒のほどがはなはだしく,旅客機の保安対策を思わせるほどだった。

旅を終えたあとに気づいたのだが,灣高鐵という名前には,ではなくの字が公式に用いられている。切符に書かれたの駅名も,とは記されていなかった。

繁体字ではと書くとばかり思っていたが,の字が使われることも多い。台北で買ったルーズリーフにも,灣製造ではなく,灣製造と記されていた。

台南市訪問

高鐵の台南駅は,台南市街から離れたところにある。

臺鐵沙崙(ピンイン:Shālún駅とつながっており,ここから普通列車で二十分ほどかけて台南市街へ向かうことになる。

台南に行くのはどの列車だ,と尋ねる乗客が多かったのだろう。改札口には中国語と英語で,この駅から出る列車はすべて台南駅に行く,と掲示されていた。

案内板を見たら,列車が出発するのは約二十分後とのこと。台南まで乗っている時間と,沙崙で出発を待っている時間が,ほぼ同じくらいというわけだ。国から持ってきた本を読みながら,出発を待った。

列車が動き出すと,窓外には木々や畑が見える。ここに住む人々がどのように暮らしているのか,想像しようとする。しかし私は,台南近くの山あいの村落での暮らしを想像できるほどには,台湾にかんする知識を持ち合わせていなかった。文化,歴史,制度といったものについても,旅行案内書ガイドブックでかじった程度の知識しかない。

しばらくすると,車窓には街なみが見えた。台南駅が近づいてくる。台南という地名が,いくつもの言語で告げられた。

扉が開いた。プラットフォームに降り立ち,次いであたりを見まわす。

私がいままで台湾で降りた駅は,どれも洒落ていて先進的によそおわれていた。台北MRTの駅はフルスクリーンタイプのホームドアを備えており,空想科学の未来都市を旅しているような錯覚をおぼえさせる。高鐵台南駅の改札口を出て吹き抜けから一階を見おろすと,一面のガラス窓にタイルの床,洗練されたよそおいの店⸻まるで大きな国際空港の旅客ターミナルにいるかのようだ。

臺鐵台南駅の第一プラットフォームに降り立ったとき,私は非常に衝撃を受けた。想像していたものとまったく違う情景が,そこに広がっていたからである。

屋根の下には椅子が並び,たくさんの乗客が列車を待っている。なんだか,東南アジアの地方都市の駅という雰囲気である。

改札口を出て地図を見る。すぐに,出口を間違えたことに気づいた。私が行きたいのは,後站というところなのだ。

はじめは,台南後站という駅があるのかと思っていた⸻は,中国語でを意味するのだ⸻。わが国ではよくなんとか中学校前なんとか郵便局前という名前のバス停を見かける。台湾ではではなくうしろが施設ではなく地名のあとにつき,それがバス停ではなく駅の名となるのだろう⸻そう考えて,台湾には台南うしろ駅というものがあるのだろうと結論づけた。

しかし,立ちどまって案内書ガイドブックをよく読むと,後站がどうやら,うしろ駅ではなく駅うしろという意味であると解するに至った。さて,これから駅うしろに行かなければならない。

改札を通らずに駅うしろに行けるような通路は見あたらない。かといって改札の横をすり抜けようものなら,異国の監獄に入ることになるだろう。さあ,どうしようか。

長野駅の場合,駅なかを通らずに善光寺口から東口まで歩くのは楽ではない。線路の下を通るわけだが,駅のまわりをぐるりと半周するかたちになるため,歩行距離は一キロメートルをゆうに超える。台南駅も同じだとしたら,私はこれからはじめて訪れたこの街を,二十分程度歩くことになるわけだ。

雨粒が落ちて,案内書ガイドブックの頁を濡らした。私は,とっさに駅の軒下に駆け込んだ。

すでに陽は暮れかかっている。そのうえ雨にまで降られるとは。こうなったら,最終手段をとるしかない。⸻最終手段というのはずばり,駅うしろへ行くことを諦めるということだ。

十代の気ままなひとり旅だ。どうしても駅うしろに行かなければならないわけではない。宿も,駅まえで探すことにしよう。

さて,そうは決めたものの,この雨だ。どこか雨をしのいで座れるところはないだろうか⸻たとえば,喫茶店とか。コーヒーでも飲みながら,ゆっくり案内書ガイドブックでも読もうか。

雨を避けるため,駅の軒下を歩きはじめた。もしかしたら,駅に喫茶店が併設されているかもしれない。

すると右手に,豪華な入口が見えた。一流の喫茶店か,それとも高級ホテルだろうか。あるいは,駅に併設された百貨店とか,わが国でいうところの駅ビルのたぐいかもしれない。中に入ってみよう。私は,右を向いて入口を見た。

そこは,台南駅のもうひとつの入口だった。明治時代を思わせるよそおいに,高い天井。待合席や切符売り場もあり,改札口はさきの第一プラットフォームに続いているようだった。

後站という文字とともに,矢印が描かれた立て看板があった。どうやら,ここで通行券を受けとって駅うしろに行けるようだった。

発券機のボタンを押すと,感熱紙が出てくる。駅うしろゆきの通行券だ。これを係員に見せ,第一プラットフォームに足を踏み入れる。

改札口の横には,小さな売店があった。飲み水でも買おうかと思ったが,混んでいたのでやめた。

たくさんの乗客が列車を待っている。プラットフォームをしばらく歩くと,さきに出た改札口が見えた。さらに進むと,昇りの階段がある。

階段を昇ると,駅うしろへ続く改札口があった。壁は真っ白で,案内板も黄地に白字。わが国の鉄道駅をまねてつくったような改札口だった。

通行券を係員に渡して,改札口を出る。まったく台南駅というのは,さまざまな地のさまざまな時代から,さまざまなものを寄せ集めて造ったような駅だ。

跨線橋からは工作機械と,幕に覆われた工事現場が見えた。台南駅は工事中なのか。では,私が見た台南駅のありさまは,変化しているまさにその途上ということなのだろうか。

階段を降りて駅うしろに出る。目のまえには大きな建物が,これまた工事用の幕に覆われていた。どうやらこの建物は商店らしく,工事中だが営業しているむねを示す看板が掲げられていた。

すでに陽は暮れていて,雨はいっそう激しくなっている。私は早足で歩き,ときどき立ち止まっては,案内書ガイドブックに描かれた地図を見た。

意外に容易く,目当ての宿がある通りに出た。すでに地図の頁はびしょ濡れになっている。私は宿の住居番号を頭に叩き込み,案内書ガイドブックを閉じた。あとはひとまず,この住居番号を目指して歩くだけだ。

宿には予約を入れていなかった。宿のウェブサイトを見ても予約の方法がわからず,しかたなく予約なしで泊まることにしたのである。

真横を目にもとまらぬ速さでバイクが駆けてゆく。しばらく歩くと,商店街に入った。私は雨を避けるため,商店街の軒下を歩くことにした。商店街といっても,ここは飲食店を主としているようにみえた。

いくつか交差点を越えたところに,目当ての宿はあった。寝台が空いていることを願いながら,帳場の係に声をかけた。

係がコンピュータを操作する。緊張の一瞬だ。もしここに泊めてもらえないなら,雨のなかを宿を求めてさまよわなければならない。

係員が電卓を取り上げた。宿賃を打鍵して示そうとしているのだろう。ひとまず,寝台に空きはあるということだ。

提示された宿賃は思いのほか安かった。わが国の地方都市のゲストハウスに予約なしで一泊するとしたら,ほぼ倍の金額を払わねばならないだろう。私は快諾して,財布から紙幣を出した。

案内された部屋は二階だった。階段はどうやら緊急脱出専用で,ふだんはエレベータを使うらしい。エレベータはおそらく台湾製で,画面表示はわが国のものとほぼ変わらない。

エレベータには赤い受話器のボタンと,黄色の鈴のボタンがある。どちらも緊急時用だとは思うが,どう違うのかはわからない。おそらく,受話器のボタンを押せばどこかと通話できて,鈴のボタンを押せば音を鳴らせるのだと思う。

二階に到着して部屋に入り,寝台の位置を確かめる。安心すると腹が減った。私は寝台に横たわることなく一階に降りた。靴を履いて,さきに歩いてきた道を,こんどは逆方向に歩く。すぐに,飲食店らしきものが目に入った。

菜食料理を提供していらっしゃいますか?⸻そう尋ねると,係員は品書きを見せ鍋料理を指さした。素食Vegetarianの表記がある。

思った通りだ。菜食料理がある。台湾を旅するうちに,菜食料理を提供していそうな雰囲気というものを感じられるようになっていたのだ。私はその鍋料理を注文した。

この鍋料理も豆腐が多く使われていて,タンパク質不足に悩まされることはなさそうだ。でも,喉がかわくし米飯も欲しい。

この店では,飲みものや米飯などを自由に取ることができる仕組みになっていた。私は水をコップに入れ,米飯を茶碗によそって席に戻った。

この鍋料理もまた,食べきれるか不安になるほどの量だった。だが,数十分のうちに難なく食べきった。すでに支払いは済ませていたので,礼を言って外に出る。雨はもう止んでいた。

夜も更けた台南を,宿へと歩く。蒸し暑さ,繁体字の看板,真横を駆けるバイクの音⸻このときになって私はようやく,自分がとんでもなく遠くに来ているのだと自覚するに至った。

私は故郷から何千キロメートルも離れた,祖国の主権の及ばぬ地を訪れている。それも,外交や通商のためでもなく,留学や出稼ぎのためでもなく,ただ好奇心を満たすための物見遊山の旅なのである。

私は雨上がりの夜空を見あげた。家族や親しい友はこの空のはるか彼方,海を越え山を越え,数字にして約二,三千キロメートルも離れたところにいる⸻私は,なんと遠くに来てしまったのだろうか。もっとも,二,三千キロメートルどころではない遠くの街に,学びを志して旅立った友もいるのだが。

アジアのおおまかな地図くらいは,私の頭のなかにも入っている。だから長野市がここにあって,千葉県の成田空港がここで,そして私がいまいる台南はここだというふうに,頭に浮かべた地図に印をつけることはできる。しかし,家と台南との距離に実感がわかない。

中学時代に家と学校を往復した道のり。普通列車の車窓を流れる建物や木々,そしてトンネルの暗闇。街なかで自転車をこいだときの足の疲れ。これが私の距離感覚である。距離を実感できるのは,せいぜい長野から名古屋くらいだ。私は,自らの距離感覚を超えるほど遠くに来てしまったのである。

しかし,感慨にひたっている余裕はない。雨と汗で服が濡れていてはなはだ不快である。一刻も早く,このびしょ濡れの服を洗濯機にぶち込まなくてはならない。

宿に着くと帳場へ行き,この建物内に洗濯機はあるかと尋ねた。建物内にはないが,歩いてすぐのところにコインランドリーがあるという。私は礼を言って二階に戻り,便所兼シャワー室に入った。台北の宿と同じく,便所の個室とシャワーの個室とが並んでいる。

服を脱いで,荷物と着替えを金網の上に置く。つまみを回すと,シャワーヘッドから水が出た。

着替えて一階に降り,宿の外に出た。帳場の係が示した方向に歩くと,数十秒もしないうちにコインランドリーが見えた。

入口は一面壁がなく,煌々と輝く蛍光灯の下には係員が立っていた。洗濯が終わるのを待つ客と歓談している。私は洗濯機の扉を開けて洗濯物を投げ入れ,硬貨投入口には十元玉を三枚入れた。開始ボタンを押す。これで,手持ちの十元玉はすべて使い切った。

係員に五十元玉を手渡すと,かれは事務室に入って十元玉五枚を持ってきてくれた。十元で十分間の乾燥だから,五十元あれば五十分間乾燥させることができる。

洗濯が終わると,洗濯物を乾燥機に移した。すべての洗濯物を乾燥機に入れたことを確かめ,扉を閉じる。

手には五枚の十元玉がにぎられている。私は,それを一枚ずつ硬貨投入口に入れた。四枚目を入れようとしたところで,係員が私を静止した。係員いわく,三十分でじゅうぶん乾くということらしい。

果たして三十分後,衣服は完全に乾いていた。たたんで圧縮袋に入れ,封をして空気を抜く。

宿に帰ると,眠気がどっと押し寄せた。二階に昇って寝台に横たわり,台南を駆けるバイクの音を聴きながら眠りについた。

画像 台南の夜 10.19MB いくつかの店の明かりと,看板の明りが見える。車道は街頭に照らされている。車道の両側の端には,バイクが並んで停められている。目の前をバイクが通り過ぎようとしている。

台南を歩く

私が目を覚ましたのは,六時を回ったころだった。

一階に降りて椅子に腰かけ,本を読んだり交通情報を調べたりしていると,すぐに八時近くになった。私は帳場へ行って,このあたりの飲食店はもう開いているかと尋ねた。

開いている,という答えが返ってくると,私はチェックアウトしたいむねを告げ,部屋の鍵を返した。帳場の係はコンピュータの前に座り,しばらく画面を見て何回かクリックしたのち,手続を完了したむねを告げた。私は礼を言って,出入口の扉を押し開けた。

目のまえを,ものすごい速さでバイクが通り過ぎる。細心の注意を払って道路を渡り,開いている飲食店に入った。

私が菜食者であるむねを告げると,野菜をはさんだサンドイッチが運ばれてきた。バイクがつぎつぎと店のまえを通り過ぎる。

朝食は食べたが,さて,これからどうしようか。とりあえず,台南をしばらく歩きまわってみよう。

街を歩くと,いたるところに公衆電話が見つかる。どうやら複数の通信事業者がそれぞれ公衆電話を運用しているようで,そのなかには民間の営利企業も含まれる。営利企業が公衆電話を設置し運用しつづけているということは,採算がとれるほど利用者が多いということだろうか。

案内板には警察や消防とならんで疫情通報(感染状況報告)の電話番号が記されていたが,これは西洋紀元2020年以降に追記されたものなのだろうか。案内板はだいぶ古びているように見受けられ,疫情通報はあとから追記されたようにはみえなかった。

過去四年のあいだ,わが国で感染症という言葉が使われたときは,たいてい新型コロナウイルス感染症を指していた。しかし,当たりまえのことだが,この世にある感染症は新型コロナウイルス感染症だけではない。もしかしたら台湾は,昔から感染症に悩まされてきたのかもしれないのだ。

画像 台湾の公衆電話 8.41MB 公衆電話が柱に取りつけられている。公衆電話は金属製である。公衆電話の裏側には車道がある。柱の横にはバイクが何台も停められている。

喫茶店に入ろうと思ったが,どこに喫茶店があるかわからない。案内書ガイドブックにはいくつか喫茶店が載っていたが,十三時ころにならないと開店しないようであった。

歩いていると,喫茶店チェーンの店舗を見かけた。ここはもう開店しているようだ。台湾に来てまで世界規模のチェーン店を使いたくはなかったが,この時間に開いている喫茶店はここしかない。扉をくぐって勘定台に行き,コーヒーを注文した。

台南を発つ

しばらく歩いたあと,台南を発つことにした。台南駅で列車を待つ。

私が乗る列車は,第二プラットフォームから出発する。時計と表示板を見ると,列車はあと十分ほどで出発するようだ。今回はあまり長いこと列車を待たなくてもよさそうである。

プラットフォームの椅子に座っていると,なにやら大きな荷物をかかえた人が目のまえを通り過ぎた。かれは荷物を置いて,なにかを取り出そうとしていた。

いったいなにをしでかすつもりなのやらとひやひやしながら見ていると,その人が取り出したのは三脚と写真機だった。

私が台南駅の第一プラットフォームを写真に撮らなかったのは,撮影が禁じられているのではないかと案じたからであった。海外では⸻とくになんらかの国際的な緊張のなかにある国では⸻鉄道駅や工事現場での撮影は歓迎されない,と聞いたことがある。台湾は,国際的な緊張と無縁であるとはいえない状況に置かれている。そしてここ台南駅は,鉄道駅と工事現場を兼ねているのだ。だから私は,第一プラットフォームに立ったとき,写真機を構えることをためらったのである。

しかし,私の目のまえで写真機のファインダーを覗いている人物は,禁じられた場所でこそこそと撮影しているようには見えなかった。官憲に見とがめられたとき,あの大きな三脚を持ったままであれば逃げ隠れのしようがない。それどころか,目はしっかりファインダーを覗き込んでいるのだから,背後から近づく官憲に気づくこともできないだろう。この人物がこれほど無防備な体勢で写真機を構えているということは,少なくともその人は台南駅を撮影してもよいと考えていることの証左ではないのか。

そう判断するが早いか,私は階段を駆け昇った。見知らぬ人の行動に判断をゆだねることに不安はあったが,それでも写真を撮りたいという思いが勝った。跨線橋を渡り,第一プラットフォームめがけて階段を駆け降りる。写真機の電源を入れ,自動モードに設定した。そして,第一プラットフォームに降りて周囲の安全を確かめると,すぐにファインダーを覗き込んでシャッターを切った。

帰国してから見てみると,写真はぶれて不鮮明になっていた。

あとがき⸻答え合わせ

旅というのは,謎に出会うことである。私も今回の旅で,ずいぶん多くの謎に出会ったものだ。

いったいこれは,なんなのだろうか? なぜなのだろうか? どういうことなのだろうか? 私は数多の謎をかかえたまま祖国に帰り,これらの謎のほとんどを謎のまま本稿にしたためることになった。

旅といういとなみは,人類の歴史に古くから存在していただろう。観光や,旅そのものが目的の旅といったものも,さほど新しいものではないように思える。

かつての旅人も数多の謎をかかえて帰路についただろうが,その謎を解くすべは限られており,たいていは謎のまま土産話にするしかなかったに違いない。

しかし現代,祖国のわが家に帰りつけば,そこには高速の光回線でインターネットに繋がったコンピュータがある。何日間もかけて異国の地を歩いて集めた謎を,こんどは光の速さで世界じゅうを飛び回って解くことができるわけだ。

さらにいえば,多くの現代人はスマートフォンなるものを常に携帯している。スマートフォンはたいてい常時インターネットに接続されていて,謎を見つけたらその場で検索エンジンに語を入力し,すぐに納得のいく答えを得ることができる。しかし私は,すぐに答えを探そうとはしなかった。

たしかに私も今回の旅にはスマートフォンを持参したが,国際ローミングではインターネット接続ができないという契約になっている。無線LANのアクセスポイントを探すのも面倒なので,謎はそのまま持ち帰ることにしたのだ。

自室の椅子に座ってコンピュータの画面と向き合えば,持ち帰った謎も解けるだろう⸻そう考えていた。

しかし,いざ検索エンジンに語句を入力してみると,表示されるのは中国語ばかり。私は中国語に通じているわけでもないので,謎を謎のまましたためることにした次第である。