東京リトルプレス紀行

リトルプレスについて

リトルプレスとは,個人や団体みずからが少部数で発行する本や雑誌のことである。明確な定義はないが,ここでは,出版社や取次業者を通さずに売られ,あるいは配られる書誌であると定義したい。

リトルプレスの魅力は,紙のあたたかさと個人ウェブサイトのあっさりとした感じ(最近のウェブサイトは,あまりあっさりとしていないが)をうまく融合しているところにある。

出版社が費用をすべて負担する企画出版は,相当数の売り上げが見込まれなければならない。自費出版にしてもばくだいな金がかかるうえ,売れなければ著者にとっては大きな損失となる。
通常の出版過程をたどる場合,どうしてもどろどろとした経済的利害関係は避けられない。しかも,多くの人や組織が関係することもあって,書きたい内容を気軽に書くことは難しいのではないかと思う。

私は二千二十二年の一月,京都で開催された文学フリマに出店して自著を売った。そしてもちろん,ほかの出展者の方の作品も買った。じつをいうと,売り上げの半分はほかの作品を買うのについやした。
文学フリマで買った本は,それほどまでに魅力的だった。商業的な圧力や利害関係から自由な作品を読むのは,とてもおもしろい。

リトルプレスを扱っている店は,地方都市にはほとんど見当たらない。DuckDuckGoで調べても,東京をはじめとした大都市の店ばかりだ。

このコロナ禍で,私はあまり東京に近よらなかった。だが,とある理由から東京方面を訪れることになり,せっかくの機会だから東京でリトルプレスの店に行ってみようと考えた。

各リトルプレス店

世のなかには,リトルプレスを扱っている書店もある。魅力的なリトルプレスと出会える機会でもあるし,書店の責任者の方に話せば,自分の本も扱ってくれるかもしれない。いわば「毎日が文学フリマ」のような,まさに天国のような店なのだ。

当初の予定ではあと4ないし5店めぐるつもりだったのだが,時間が足りずに2店しか訪れることができなかった。こんど東京に来たら,残りのリトルプレス店も訪れてみたい。そして,今回訪れたところにも自著を持ち込んで,取り扱っていただくよう依頼したいと思う。

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

公式サイト

渋谷にある小さな本屋で,一搬の(すなわち,大手出版社を介して世に出される)本とリトルプレスのどちらも販売している。販売区画に限りがあり,リトルプレスも売らないといけない。なので本は多いとは言えないのだが,なんとリトルプレス以外は,社会問題などに深く切り込んだ本ばかりがならべられてあった。社会問題──私の関心がある分野である。もちろん,リトルプレスと社会問題の本,どちらも衝動買いした。

ここで買った本のうち,リトルプレスのほうを紹介したい。
製本業界で働く笠井瑠美子氏の「日々是製本」である。エッセイなどがつづられていて,文学フリマについても書いてあった。

模索舎

公式サイト

新宿にある小さな店だ。店内には本がところせましとならんでおり,そのなかにはリトルプレスもある。こちらでも衝動買いを避けることはできなかった。

行く直前にスマホで住所表記を見て,驚いてしまった(直前になるまで住所を見ないのも,問題かもしれないが)。なんと,新宿二丁目にあるのだ。二丁目といえば,私にとっても無関係ではない街である。東京に来たときは,かなりの割合で訪れている。

ここで買ったのは,雑誌「スピラレ」の第5号。奥付を見ると,N高校が開校した年である西洋紀元2016年に発行されたことになっている。近ごろはN高開校紀元で考えることが多く,そのたびに西洋紀元と換算している。それにしても6年前の雑誌が手に入るとは。読んでみるとおもしろく,このコロナ禍について考えされられるところもあった。 思えばこのコロナ禍で世界じゅうの人が接種したメッセンジャーRNAワクチンも,コロナ前からがん治療のために研究されていたようである。コロナ禍はまったく新しいものではなく,以前の知見をいかすことができる。医学においてもそうなら,哲学や政治においてもそうだろう。

訪問を終えて

今回は2店しかリトルプレス店を訪れられなかったが,リトルプレスの魅力を知ることができた。

だが,リトルプレスは万人うけするものではないということは,おぼえていただきたい。
そもそもリトルプレスは,カネを稼ぐということをまったく考えない貴重なメディアだ。ブログや電子書籍などとちがって印刷費などがかかり,稼げるという「希望」がまったくない。だから,書きたいことを書くことができる。

リトルプレスにも人と同じように個性があり,相性がある。ふつうの書店で買った本でも「おもしろいもの」と「そうでないもの」があるが,リトルプレスではその差がはげしい。リトルプレスにおける「おもしろいもの」すなわち自分と相性がいいものは,いつでも持ち歩いて何回も読み返したくなる。一方で「おもしろくないもの」すなわち相性のあわないものは,少し目を通しただけで本棚の奥に直行だ。しかしもともと本はそういうもの。いや,本だけではなくあらゆるものが,個性や相性があるのだ。だれもがみんな,i──なんだっけ,とかいう携帯電話を持っていることのほうが,異常とはいえないだろうか。

これはリトルプレスを皮肉っているように感じられるかもしれないが,そうではない。カネにならないことは,資本主義経済においてはたしかに価値がないことである。しかし経済的価値と,市民的道徳や文化,芸術,そして歴史における価値は違うものだ。

私はこれらの市民的道徳や芸術などといった価値を信じるからこそ,リトルプレス店に足を運び,そしてリトルプレスを買いあさったのだ。