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翻訳アプリや翻訳機が発達しても「語学は必要」といえる理由

2022-10-24

翻訳アプリや翻訳機がきわめて正確な訳文を示せるようになったいまでも,異言語を学ぶことは必要である。そしてもちろん,エスペラントなどの国際補助語も必要だ。

ちかごろの機械翻訳の発達はめざましい。Deeplはきわめて自然な訳文を返してくれるし,私の家族はポケトークだけで海外を旅したという。こういった話を聞くと,もはや異言語を学ぶ必要なんてないのではないかと考えてしまうのも無理はない。

しかし,「すみませんが,今晩一部屋、空いていますでしょうか?」より高度なことを話したいとなると,現地語か国際補助語(ここでいう国際補助語というのは,事実上の国際補助語となっている英語などを含む)を学ぶ必要がある。

翻訳の中立性

"United Nations"──さて,この英単語をなんと訳せばよいだろうか? 英語,歴史あるいは国際情勢に関心を持たれる方ならご存知かもしれないが,これは「国際連合」あるいは「連合国」と訳せる。そう,かの国際連合は,さきの大戦でわが国と戦った「連合国」なのである。

戦後,わが国の外務省が "United Nations" を「国際連合」と訳した。意図的な誤訳と いえるだろう。これとおなじことを,翻訳機の会社がしないといえるだろうか?

ほとんどの翻訳アプリ,とくに自然な翻訳結果を返してくれるものは,運営会社のサーバーに原文を送信し,訳文を得ている。個人の端末機のなかで処理するにはあまりに複雑だから,そして,自然な翻訳結果を返すにはたくさんの原文データが必要だからだ。「アプリ」ではなく「機」でも同じこと。インターネットにつながっていないと翻訳できなかったり,結果が不自然なものになったりしてしまう。

とくに,政治や科学技術にかんすることでは,会社がなんらかの圧力を受けるか,あるいは自主規制することだって考えられる。

プロパガンダや陰謀論にまどわされないようにという,ある種の「配慮」から,あえて誤訳するよう設定されることだってあり得る。それでも,研究や調査にあたってはこの「配慮」は余計なおせっかいだろう。

文脈から判断する

これは,言語を学ぶことの必要性というよりは,その言語が話されている地域における文化や歴史を学ぶことの必要性,ということになるごろう。しかし,言語と文化は密接に関係しているため,ある言語を学ぶとき,多くの場合同時に文化をも学ぶことになる。

文化的あるいは歴史的背景ゆえに,配慮が必要な言いまわしというものがある。それを知らないと,誤って差別語や不穏当な言葉を言ってしまったり,あるいは自分が誤解して激怒してしまったりするかもしれない。

例をあげよう。たとえば,ドイツ語には名詞に性があり,冠詞および語尾で区別される。そして,性別がわからないことには言及できないのだ。

"Ich sah einen Reisenderin" というドイツ語文を,どう訳すべきだろうか。直訳すれば「私は一人の女旅行者を見た」となるが,日本語としてはいささか不自然だろう。訳しかたは場面によって異なる。もちろん,あえて旅行者の人数や性別を明示しなくてはならない場合もあるはずだ。しかし,やたらと「男」や「女」などと訳していたら,あまりよい印象をもたれないのではあるまいか。

最近ではAIが文脈にもとづいて判断してくれるらしい。しかし,その訳文をなにに使おうとしているのかまでは判断してくれない。警察や在外公館への報告だったら,人数や性別まで明示すべきだろう。しかし,文学作品の翻訳だったら? 友達への手紙だったら?

サービス停止や値上げ

とくに情報技術の分野になると,道具とサービス,つまりソフトウェアとSaaSSは混同されやすい。どちらも自身の機器の画面上で操作するので,自身の支配下にあると錯覚しがちだ。

自身の機器内にインストールされ,機器内で実行されるソフトウェアは,それが自由ソフトウェアであるかぎり,たしかに自身の支配下にある。家で紅茶をいれて飲むことをさまたげられないのと同じく,使用をさまたげられることはない。

しかし,SaaSSの場合は違う。扱われる情報は自身の機器を離れることになる。喫茶店が客を拒むことができるのと同じく,サービス業者に拒まれることがある。

すぐれた翻訳サービスであっても,突然停止される可能性もあるし,料金が値上げされる可能性もある。翻訳機だって,もし翻訳機の会社がサービスを続けられなくなったときに,設定をいじれば他社のサービスを使えるようになるのだろうか?

プライバシー

最後に,プライバシーについて。

翻訳アプリや翻訳機を利用するさいは,運営会社に原文が送信されていることがほとんどだとさきに述べた。秘密の話をしないなら問題ないが,もし他人に聞かれたくないことを話すときには,やはり,当事者のいずれかの言語か,国際補助語を使わざるを得ない。

会話だけではない。書籍やウェブサイトを翻訳するときだって,プライバシー上の懸念はある。運営会社に原文が送信されているので,どのような書籍あるいはウェブサイトを読んでいるかが知られてしまうのだ。

私たちはどうするべきか

翻訳サービスの利用をなくべく避けるというのが,私たちにできることだろう。少なくとも,義務教育で必修の英語は,翻訳サービスなしで読めるようになりたい。翻訳なしで読むことで,語学力を高めることにつながる。もしほかの言語も学んでいるのであれば,その言語を読むのにも翻訳サービスを避けよう。

自身の関心分野と密接にかかわっている言語(たとえば,韓流ファンにとっての韓国語など)や,長期滞在先の言語も,可能であれば習得し,翻訳サービスなしで運用することを推奨する。

しかしながら,さまざまな要因により異言語の習得が困難な方もいらっしゃるだろう。じつは,学力や身体能力などは本人の努力だけで決まるものではない。遺伝的な要因,生育環境,時代や社会の背景などによる影響は無視できないほど大きい。

おおやけに知られていないだけで,第一言語(いわゆる「母語」のことを,性的中立の観点からこう呼んでいる。「第一外国語」ではない)以外の言語を習得することができない,あるいははなはだしい困難をともなうという障碍が存在するかもしれない。いずれにせよ,「努力さえすればだれもが英語や中国語をぺらぺら喋れるようになる」などとは考えてはいけない。

外国語を習得できない場合は,どうすればよいだろうか。異言語で書かれた文献を読み,あるいは異言語話者と意思疎通を図るには,だれかの補助が必要になる。

重要なのは,サービス事業者とてあなたを裏切ることができる,ということだ。そのほうがメリットが大きいと判断すれば,ちゅうちょなくあなたを裏切るだろう。

現代では,ありとあらゆることがカネで解決される。カネさえ払えばさまざまな困りごとを解決してもらえるが,それを解決してくれる人の心のうちが分からない。個人的に知っていない人だから,良心からこの仕事に従事しているのか,とりあえず見つけた仕事についただけなのか,それとも,なにか悪意を持っているのかを推測することもできない。

弱者(ここでは,特定の場面や対象において,ほかと比較して不利な立場に立たされる者を意味する。つまり,スペイン語を話せない私がスペイン語圏に行ったら,私は言語における弱者となる)にやさしいようにみえて,冷酷な社会だ。子ども向けに売られる,糖質たっぷりの菓子類や食事。新聞でたびたび話題になる,外国人労働者への暴虐。平和なはずの現代日本で起きているのだ。ディストピア小説「動物農場」を想起させる。

異言語で書かれた文献を読むには,信頼できる翻訳者ないし研究者を見つける必要がある。信頼できる情報源を探すことは,自身があまり長けていない分野についての知識を得るときにも重要だ。

その人の本,ウェブサイト,ブログ,Geminiカプセル,SNS投稿などをよく読むこと。とくに,専門分野や翻訳からはずれた部分の記述に注目すること。

なにより重要なのは,単一の翻訳者あるいは情報源にたよってはならないということだ。

私は情報技術(とくに自由やプライバシー)に関心を持っているが,ソースコードを解読したり,監視の仕組みを告発したりといったことはできない。だから,信頼できる研究者や活動家のウェブサイトを複数ブックマークし,RSSで購読している。哲学や社会問題も私の関心分野に含まれており,やはりブックマークやRSSを活用するほか,雑誌を定期購読している。書店に行けば,哲学と社会問題のコーナーにはかならず寄る。