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スマートフォンと自由・プライバシー──ポケットへの侵入に成功した木馬

2022-11-02
2022-11-20 訂正

スマートフォンが普及して久しい。いまやスマートフォンは,だれもが持つものになっている。東京の地下鉄でも長野の路線バスでも,スマートフォンを使っていない人を探すのは難しい。

あなたは,スマートフォンをなでまわしながら,こう考えたことはないだろうか──いったい,この機械のなかでなにが起きているのだろう? どんなプログラムが動いていて,どことどんなやりとりをしているのだろう?

携帯電話と個人用コンピュータの違い

携帯電話と個人用コンピュータを比較してみる。

では,まず携帯電話から。携帯電話というのは,その名のとおり,持ち運べて外出先でも発着信できる電話機のことだ。

携帯電話会社が無線局の免許を受けるかわりに,利用する電話機は技術基準適合証明(「技適」と略される。工事設計認証を含む)を受けていなくてはいけない。技適というのは,かんたんにいえば,規格に適合しているという証明だ。これがあることによって,携帯電話機として正常に動作することが保証される。

携帯電話機は各地に設置された基地局と無線通信している。最寄りの基地局が携帯電話会社に記録されるため,着信時に呼び出すことができる。プライバシーは各携帯電話会社に一任される。

携帯電話を利用するには,携帯電話会社と契約しなくてはならない。身分証明のいらないプリペイド携帯電話が詐欺などに悪用されたため,携帯電話不正利用防止法が成立。身分証明が厳格化された。

つぎに,個人用コンピュータをみてみよう。コンピュータというのは,文章を書いたりウェブサイトを閲読したり,絵を描いたり動画を編集したりと,さまざまなことに利用できる。コンピュータを利用するだけでは,契約などは必要ない。Windowsなどプロプライエタリ(不自由)なOSを利用するときには,OSの事業者と契約する必要がある。

つまり,携帯電話と個人用コンピュータの違いを比べると,このようになる。両者はまったくの別物で,共通していることは「電子機器である」ということくらいだ。

では,スマートフォンはどうだろうか。これから,スマートフォンがどのようなものかを分析していきたい。

GoogleまたはAppleとつながる鎖

スマートフォンを買って箱から取り出し,電源を入れたとき,ログイン画面が表示されるはずだ。そして,携帯電話会社でもない相手に,個人情報を提供するよう求められる。

AndroidであればGoogle,iPhoneであればAppleに,それぞれアカウント(account,つまり「口座」)を持つことを,強制こそされないものの,断れないほど強く推奨されてしまうのである。

Googleは,みずからの開発するAndroidのソースコードを公開し,自由に利用させている。この「素のAndroid」,およびこれを開発するプロジェクトをAOSP(Android Open Source Project)という。

Androidスマートフォンの製造業者は,このAOSPに手を加えて,製造する機器にあわせたAndroidを作る。独自の機能を盛り込む場合も少なくない。このとき,製造業者はGoogleと契約し,Google関係のソフトウェア──Google Play ストア,Google Play開発者サービスなど──を,スマートフォンに導入する。

もしGoogle関係のソフトウェアがなければ,アプリの入手先はF-Droidくらいしかない。LINEも,人気のゲームもF-Droidにはない。たとえ非公式な手段でアプリを入れたとしても,たいてい通知を受け取れない。通知はいったんGoogleの通知サーバーに送られ,Google Play 開発者サービスによって受け取られる。だから,Google Play開発者サービスがないと,通知を受け取れなくなってしまう。

こんな不便なAndroidスマートフォンは,通信機器マニアくらいしか買わないのではないか(英語圏では DeGoogled Android と呼ばれ,ITマニアやプライバシーを意識する人に人気)。ふつうの人は携帯電話をそのまま使うか,Google関係ソフトウェア入りのAndroidスマートフォンを買うだろう。だから製造業者は,Googleに高いカネを払ってでも,Google関係ソフトウェアを導入する。

一方iPhoneは,Appleが機器やOSを設計・開発している。

いずれにせよ,GoogleまたはAppleに個人情報がひもづけられることになる。スマートフォンのOSは,利用者でも携帯電話会社でもなく,GoogleやAppleによって管理されることになる。世界じゅうにいるスマートフォン利用者の情報が,アメリカのいちIT企業に集中管理される。ひとりひとりのポケットのなかが,GoogleやAppleの植民地となる。

個人的な意見だが,AndroidにおけるGoogle系ソフトウェアについては,利用者が任意で導入できるようにしてほしいと思う。何も操作していないのに,工場出荷時点から導入されているのはおかしい。

Google Play開発者サービスを消せない「セキュリティ」

スマートフォンは,商品としての性質上,利用者が情報技術に通じているとはかぎらない。ソフトウェアの中核部分を興味本位でいじり回されると,製造業者や携帯電話会社にとばっちりが来るかもしれない。

だから,スマートフォンには,利用者がソフトウェアの中核部分を改変できないよう制限がかけられている。多くのスマートフォンは,システムを完全に操作する許可(GNU/LinuxやUNIXでいうところのRoot権限,Windowsでいうところの管理者アカウント)を,利用者に与えていない。つまり,利用者が完全に所有権をもっているとはいいがたいのである。

Androidであれば,特殊な操作をすることでRoot権限を取得できる場合がある。これをRoot化という。Google Pixelをはじめとして,サムスンやXiaomiのスマートフォンは,簡単にRoot化できる。Google Pixelにいたっては,チャイルドロックを解除するような簡単さだ。ただし,日本のメーカーのスマートフォンでは,簡単にRoot化できない。

iPhoneもまた,システムを完全に操作する許可を与えていない。脱獄あるいはジェイルブレイクと呼ばれる操作を行うと,Appleが認めていないソフトウェアを動作させることができる。しかし,これはAppleとの契約に違反する行為となるほか,セキュリティが低下する。

さて, 多くのAndroid端末では,このRoot化をしないと,Googleと手を切ることができない。ADB(Android Debug Bridge)を使ってコンピュータから操作することで,いくつかのGoogle関係ソフトウェアを削除することができる。しかし,Google Play 開発者サービスや Google Mobile Serviceについては,ADBでも削除できず,無効化することしかできない。たとえ無効化したところで,「デフォルトユーザーにおいて無効化」するだけ。つまり,利用者の画面上から消えるが,裏でなんらかの動作をしているかもしれないということだ。

広告が消費に駆りたてる

スマートフォンのアプリは,なぜ無料で使えるのだろうか。テキスト編集やウェブサイト閲読,メール送受信など「いくら利用されても開発者に追加の負担がないもの」ならまだしも,SNSやオンラインゲームなど,専用のサーバーにアクセスするものまである。

これらのアプリはおもに,広告を表示することで収益を得ている。Googleの提供している広告システムは,利用者ひとりひとりにあわせて,関心を持ちそうな広告を表示している。

広告のなにが怖いといっても,不必要な消費に駆りたてることほど怖いことはないだろう。不必要な消費は,カネが無駄になるだけではない。自然資源や労働が無駄になってしまうのだ。買ってもすぐに飽きて捨ててしまうというのは,物をつくらせておいて,すぐに捨ててしまうのと同じだ。たいへん失礼で,しかも非合理的なことである。

「公式アプリ」におぼえる違和感

アプリケーションソフトウェア,つまりアプリというのは,「特定の用途のための」ソフトウェアである(ただし,GNU Emacsなどの拡張性が高いアプリケーションソフトウェアは,複数の用途に使える)。

ワープロソフトは文書編集,メールクライアントはメールの送受信,カレンダーアプリは暦の表示や予定管理と,それぞれ用途にあったアプリケーションソフトウェアがある。

ちかごろよく見かける,店やブランドごとの「公式アプリ」には違和感をおぼえる。来店予約や商品の購入は,ウェブサイトから,あるいは電話でできるのではないか。 ウェブブラウザからアクセスすれば,さもなくば電話をかければ済む話なのに,なぜ個別にアプリが必要なのだろう。

もちろん,特定のウェブサイトやサービスの「公式アプリ」にも違和感がある。こちらもブラウザからアクセスすれば済むし,よく利用するなら「お気に入り」にでも入れておけばいい。

これらの違和感というのは,スマートフォンを個人用コンピュータのようなものとしてみたときに感じるものだ。スマートフォンとはそういうものであって,コンピュータとはまったく違う。そう考えると,違和感もなくなる。

テレスクリーンの資本主義版か,個々人に最適化されたショッピングモールか

ここまで,スマートフォンはどのようなものかをみてきた。スマートフォンとはなにか。私にいわせるなら,こうだ; よくいえば,個々人に最適化されたショッピングモール。悪くいえば,テレスクリーンの資本主義版。これらは表裏一体だ。

私たちは,自分好みの店だけを集めたショッピングモールをポケットに入れて持ち運べるようになった。公衆電話,書店,CD屋,ゲームセンターといったものが,それぞれ電話機能,閲読アプリ,音楽アプリ,ゲームアプリとして入居している。自分にとって魅力的な新製品が発売されたら,すぐに知らせがくる。

しかし,同時に私たちは,ビッグブラザーならぬビッグテックのテレスクリーンを持ち運ぶことになった。四六時中,一挙手一投足にいたるまで監視され,あれを買わないか,これを買わないかと誘惑される。欲しいものはたくさんあるが,買うカネがない。稼いでも稼いでも,これらのすべてを買うことはできない。

ジョージ・オーウェル氏は,当時の共産主義陣営を批判したディストピア小説「一九八四年」を著した。作中では,人々はテレスクリーンと呼ばれる機械で監視されている。指導者ビッグブラザーを崇拝し,自身の記憶すら体制に都合のいいように取捨選択する。

しかし,かれの警告は,資本主義のなかに生きる私たちにとっても,けっして他人事ではない。

テレスクリーンは人々を監視するだけでなく,支配する機械でもある。これはそのまま,現実世界のスマートフォンにあてはまる。私たちはスマートフォンによって,目を向けるべきことから背けさせられ,ひたすら不必要な消費に駆りたてられている。

あなたはどのような社会を望むのか

いずれにせよ,私はスマートフォンを使いたくない──Root権限を取り戻し,この小さな機械からショッピングモール兼テレスクリーンを消し去らないかぎり。監視され統制されることは好きではないし,持ち歩けるショッピングモールなどいらない。

あなたがどのような社会を,そしてどのような人生を望むかによって,スマートフォンを使うべきか否か(使うとしたら,自由とプライバシーを保護するための技術的措置をほどこすべきか否か)は変わってくる。

あれが欲しい,これが欲しい。あそこに行きたい,あれが食べたい。そういったことにしか頭を悩ませたくないなら,スマートフォンをそのまま使えばいい。

そうでないなら,スマートフォンの使い方を工夫し,広告や誘惑,監視のたぐいから逃れる必要がある。あるいは,電話機能のみの携帯電話と個人用コンピュータを使うことにし,スマートフォンを中古品店に売り払ってもいいかもしれない。

訂正について

2022年11月20日訂正

いわゆる「技適」について,「技術適合証明」としていたものは,正式には「技術基準適合証明」といい,量産品については「工事設計認証」も含みます。

「技術適合証明」を「技術基準適合証明」に訂正したうえ,工事設計認証をふくむことを明記しました。