-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 小説 文明病棟

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文明病棟(読み:ぶんめいびょうとう
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お読みになる前に

本文

病室の窓からは自動車の列が見えた。街は春のあたたかい陽光を浴びていた。

幼いころの情景が思い出された。八歳だったあの春の日、おれはある「大発見」をしたのだ。

八歳のおれにとっての「大発見」とは、赤色の信号灯が停止を指示するものであるということだった。窓外の車列を眺めるうち、車が信号灯に従って動いていることに気づいた。信号灯と車の動きを研究するうち、赤色があらわす意味をついに発見した。

田島翔吾は窓外の景色を見ながら思った。あのときのおれはその発見に歓喜して、看護師や同室の子に自慢げに発表した。看護師は驚きの表情を見せた。同室の子のなかには、あの三色の信号灯はただの装飾にすぎないといって聞かない者もいた。べつの子は、そんなことは誰でも知っていて当然だといって笑った。

二十四歳になったいま、この車列を見て思うことは、八歳のときとは違っていた。おれが健康でさえあったなら、いまごろはこの街を歩いていたかもしれない。もしかしたら、運転免許を取ってこの道を走っていたかもしれない。健康でさえあったなら・・・・・・

制服を着た高校生が横断歩道を渡る。田島翔吾は、ついぞ高校に行くことはできなかった。通信制の高校でさえ、治療の関係で難しいだろうと医師から言われ、あきらめることにした。

十歳のころは、中学校に入るころにはこの病気も治るだろうと思っていた。でも十三歳になって、中学のうちは学校に通うことはできないと悟った。

中学校三年生のとき、病床の机に高校のパンフレットを何冊も積みあげ、暇さえあればそれを読んでいた。通りかかった院長はそれを見て、こう言った。

「残念だが、高校はあきらめたほうがいい。たとえ通信制でも、スクーリングや試験で外出しなければならない。だが、きみの場合は外出すると命にかかわる」

いったい、なんでおれはこんな目に合わなくちゃならないんだ? 田島翔吾は自分の運命を呪った。呪うべきものは自分の運命だけだと信じていた。小児期に受けた健康診断で病気が見つかり、それ以来いまにいたるまでずっと入院している。つぎからつぎへと新しい病気が見つかり、薬は年ごとに増えていった。いまでは身体のあちこちに異常があり、少しでも無理をすればたちまち命に危険がおよぶ。

最初の病気が見つからなければ、むしろよかったのかもしれない。年齢が一桁のうちに命を落としていただろうが、いまの境遇を考えれば、それも大したことではないように思えた。

なんでおれだけ、こんな思いをしなくちゃいけない? そう胸中で叫び、ふと思い直した。おれだけじゃない。おれと同い年の若者がこれだけ、重い病気にかかっている。この病室にいる十二名はみな、田島翔吾と同年に生まれた男子だった。

かれはふと疑問をいだいた。ここの病院では、出生年と性別ごとに病室が分けられている。病室の定員は十二人で、ほとんどの病室は一人の過不足もない。各出生年と性別でちょうど病室に入りきれる数の患者が集まってくれるなんて、なんだか都合がよすぎるのではないか。

動悸を感じた。ナースコールを押す。やはり自分は病気なのだ。なにかの策謀で病院に入れられたわけではない。病室に看護師がかけ込んできた。田島翔吾は口を開いた。

「すみません、胸がばくばくしていて・・・・・・」

そこまで言いかけたところで、かれは意識を失った。

目覚めると、いつもの病室だった。かれはナースコールを押した。

「意識が戻りました。図書室に行きたい」かれは言った。

看護師に連れられて図書室に向かう途中、かれは今後の生活について考えていた。病気が治る見込みはないし、治ったところで就ける職があるかどうか。

図書室は五畳ほどのせまい部屋だった。数えたことはないが、本も二百冊くらいしかないだろう。小説と詩集と哲学書がそれぞれ約十冊と、コンピュータの本が十冊。英語とドイツ語の入門書がそれぞれ一冊。そのほかには、政治や経済、宇宙、無線工学などの本が置かれていた。そしてかれの不安に応えるかのように、進路と職業ガイドが二冊並んでいた。奇妙なことに、病院の図書室なのに病気にかかわる本は一冊もなかった。

ここにある本は、ほぼ全て読んだ。十年前から思っていることだが、技術系の蔵書が物足りない。プログラミングにせよドイツ語にせよ、どれも入門段階の本しかないのだ。私立病院であって公共図書館ではないので、蔵書の依頼は受けつけていない。

医師いわく、公共図書館の本には菌やウイルスが付着していて、病気で免疫力の弱った人には危険である。古書店の本にも菌やウイルスが棲みついている。新刊書店の本からは有害なインクの成分が放たれている。すなわち、自身と療友の安全を確保するために、わずか二百冊の知識で満足しなくてはならないのだった。

せっかく図書室まで足を運んだが、どの本も読む気になれなかった。片道百メートルの旅は徒労に終わった。

病院にあるDVDも観飽きた。子ども向けアニメ、三十年前の科学ドキュメンタリー、ついぞ現実にはならなかった青春映画。どれも、もう観たいとも思わない。

コンピュータ室に並んだコンピュータは十五分かかってようやく起動するが、外部と通信することはできない。作ったファイルはすべて消されてしまう。USBメモリですらめったに貸してもらえない。コンピュータでできることといえば、古くさくつまらないゲームをするか、作って動かしたらすぐに消してしまうプログラムを書くことくらいだ。それ以外に、気晴らしはない。ひたすら自身の病と将来に苦悶するだけである。

いつになったら、あの世からお迎えが来る? 田島翔吾はそう思った。治らぬ病をかかえ、病床に横たえてはよ二十年。そのあいだ、おれは生きていたといえるだろうか? 青春も学問も恋も知らず、公道を歩くことも、山に登ることも海で泳ぐこともない。これが事実上の死でないとしたらなんなのだ?

田島翔吾は私物入れから信書を取り出した。母親からの最後の手紙だった。病院長の名で消毒済の印が捺され、ラミネート加工が施されていた。

翔吾へ

病状はよくなりましたか。

母さんの働いている図書館は、蔵書整理期間に入りました。本のデーターベース(どんな本を何冊所蔵しているか、コンピュータで管理しているのです)と棚にある本を照らし合わせて、本がなくなっていないかを確かめるのです。

蔵書整理はかなり大変です。うちの図書館は重要な郷土資料も所蔵しているし、DVDやCDもあります。そういったものも、媒体が劣化していないか確かめます。DVDやCDは専用の機械で確認するのですが、一枚ずつ取り出して機械にかけるのは労力が要ります。

お医者様の許可がでたら、本を借りに来てください。利用カードを発行してあげます。同時に十冊までは借りられます。

翔吾の病気が早く治りますように。お医者様の言うことをよく聞いてくださいね。

しかし、かれの返信が届くことはなかった。母親は死んだ。死因は感染症だった。医師いわく、公共図書館の本から感染した可能性が高いとのことだった。

かれは手紙を私物入れにしまい込んだ。そして、隣の病床にいる塩沢雅也に声をかけた。二十年来の友人だ。

「雅也くん、今日はいい天気だね」

「ああ。午前中は晴れる。だが、午後になると雨が降るだろうな」

かれはいつも病室の窓から空をながめていて、天気を予測することができた。ここ十年のあいだに、かれの予測が外れたためしはない。

「これから、どうなるかね」

「明日も雨が続きそうだな。数日のあいだ、晴れることはないだろう」

「天気じゃなくて、おれたちの今後だよ。病気は治るのか不安だ。それに、治ったあとはどうやって生きていく?」

「きっと治るさ。だが、きみがいうように、治ったあとのことが大事だ。そのことについては、病院はなにもしてくれない。役所や雇用主だって、ぼくらの事情を知っているわけじゃないから、いちいち説明しなくちゃいけない」

「じゃあ、いまはどうすればいい?」

「病院の図書室はあんなに小さいし、学校にも図書館にも行くことができない。ぼくらにできるのは、先生の言うことをよく聞くことだけだ」

「治ったあとのことも、ちゃんと考えてくれているかね」

「ああ。きっと考えてくれてる」

そう言って、塩沢雅也はまた空を見つめた。

塩沢雅也のいうとおり、その日の午後は雨が降った。空がどんよりと暗くなり、得体の知れない液体が落ちてくる。その液体は窓にも付着していた。

くもった窓からは、建物や自動車の明かりがぼやけて見える。看護師が病室に入ってきた。

「すみません、看護師さん。気になったんですけど、雨って何でできているんですか?」

「はい?」 看護師は、困惑の表情をあらわした。

「雨。いま外で降っている雨です。その雨の素材は何ですか?」

看護師は笑みをうかべてうなづいた。そして言った。

「DHMOっていう化学物質。日本語でいうと、一酸化二水素。電気回路に異常をきたしたり、車のブレーキをきかなくしたりする、とても危険な物質なんだよ。肺に吸い込むと、命にかかわる」

「え、本当なんですか?」

「もちろん。種明かしをすると、このDHMOはただの水。いつも飲んでいる水でも、見方をかえると──」

「ちょっと待ってください。雨は水なんですか? ただの水なんですか?」

看護師の表情は、ふたたび困惑を示した。

「もちろん、精製水ではないけどね。でも、まあ普通の水。飲むのはおすすめしないけど、おれが子どものころは、よく雨に打たれながら遊んだなぁ」

「遊んだ? 大丈夫なんですか。雨は危険な酸性だって聞きましたけど」

「ああ、それは酸性雨ね。環境破壊による影響もあるだろうけど、まあ自然災害の一種だね」

「じゃあ、普通の雨は酸性じゃないんですか?」

「厳密にいうと、酸性かアルカリ性かはわからない。だけど、影響があるほどの酸性ではないことはたしかだ」

院長が言っていることとは違う。院長は、おれに嘘をついている。つかみどころのなかった疑いが、具体的な形をおびていくのを感じた。医師は、あえておれを病気にしているんだ。病院から出たあと生活できないように、なにも知らせてくれないんだ。

まずは状況を整理しなければ。かれは立ち去る看護師の背中を見て思った。

おれは四歳のときに受けた検診で、病気だと診断された。それから現在に至るまで、ずっと入院している。それ以来、病院から出たことはおろか、出入口を見たことさえない。

知識を得る手段は──医師や看護師、療友との会話。家族との手紙。そして図書室にあるわずかな本だけ。家族がみな死んでしまったいまでは、手紙をやりとりする相手がいない。

かれは窓の外に広がる風景を見た。この街──街という普通名詞は知っていた──のほかにも、街はあるのだろうか。 あるとすれば、ほかの街とどうやって識別するのか。番号をつけるのだろうか。それとも、人間のように名をつけるのだろうか。図書室には、街を識別する方法が読みとれる本はなかった。小説にも、「この街」や「あの街」などと書かれていた。

院長は、おれたちに知ってほしくないことが書かれていない本だけを選んで、図書室に置いているんだろう。本を新しく所蔵しないのも、望ましくない内容がないか調べるのに手間がかかるからだろう。

手紙はすべて紫外線で除菌し、清潔なフィルムでラミネートしてから届けられる。しかし、除かれるのはおそらく菌だけではない。知るべきでない内容があれば、薬品でも使って消すか、手紙そのものを届かなかったことにするのではないか。

では、院長がおれたちに知ってほしくないこととはなんだろうか。院長の目的は、いったい何なのか? 考えても答えが見つかるはずはなかった。


窓外の街と山にはどんよりとした雲がおおいかぶさり、雨の降る音が病棟に響いていた。雨は何日も降り続いていた。

田島翔吾の心もおなじように不信の雲におおわれ、猜疑の雨を降らせていた。医師や看護師の話す一言ひとことが、闇のなかから語りかける悪霊の声にさえ聞こえた。

いま自分がなにをなすべきかは、あいまいながらも理解していた。まずは、決定的な証拠を見つけなくてはならない。勘違いでないか確かめる必要があるからだ。証拠が見つかったら、同室の療友に告発する。そして、病院から逃げ出してしかるべき所へ行く。役所か公共図書館といったところなら、医師の手も届かないだろう。

かれは起き上がった。便意をもよおしてはいなかったが、便所に連れて行くよう看護師に頼んだ。

十分ほど個室に閉じこもっていると、看護師はこう言って歩き去った。

「終わったら、『呼出』ボタンを押して。ぼくはほかの仕事をしなくちゃならない」

これは計画の段階のひとつだった。看護師の足音が聞こえなくなると、田島翔吾は個室の扉を慎重に開けた。便所の床を這って移動し、入口扉に内側から耳を当てた。清潔ではないと思ったが、情報を得るためには仕方のないことだ。

廊下を歩く足音が幾度も聞こえたが、どれも便所に来ることなく去っていった。話し声も聞こえたが、患者どうしのたわいもない話だった。だが、十五分のあいだ聞き耳を立てつづけたところで、足音ともにPHS端末の着信音が聞こえた。つづいて聞こえたのは、院長の声だった。

「田島さまですか。はい。ええ。まだ翔吾くんは意識を取り戻していません。お母さんもご心配だとは思いますが、わたくしどもにお任せいただければ大丈夫です。翔吾くんはきっと意識が戻ります。ええ、脳の活動を調べたところ、回復の見込みはかなりあります。ご安心ください」

ここからさきの言葉は聞きとれなかったが、田島翔吾はある結論を見出していた。すなわち、電話の相手は自分の母である。母はまだ生きている。そして、院長は自分と母に嘘をついている。

かれは、飛び出して院長からPHS端末を奪い取りたい衝動にかられた。PHS端末をにぎりしめ、「お母さん、おれは意識がある!」と叫びたかった。しかし、いま駆け出したところで院長に追いつくことはできない。看護師の補助なくしては、床を這うか壁によりかかって移動するほかなかった。さらに聞き耳を立てつづけることが、もっとも現実的な選択肢に思えた。

さらに十分が経過した。二人が話しながら歩いてきた。院長と看護師だった。

「ええ、でも、どうしてそれがいけないのですか? なぜだめなのですか?」

「きみはなにも分かっていないよ」

「なぜ、ユウビンやデンシャのことを教えてはいけないんですか? だれでも知っていることでしょう!」

「だめなものはだめだ。子どもたちにいろいろと教えないでくれ。言うことを聞かなければ、下っ端のショクシュにサセンすることもできるぞ」

「なぜですか? 子どもたちの病気が治ったあと、どうやって生きさせるつもりですか? まさか──」

「大きい声で言うな。クビにするぞ」

「あなたは、それでも人間ですか」

「いいかね。きみはなにも分かっていない。ずっと安全で清潔な病院のなかで生きたほうが幸せなんだよ。きみも習っただろう。メンエキリョクが弱っていて、外の環境だとすぐに死んでしまう」

「だから、それはあなたがあえて、そういった状況に──」

声は聞こえなくなった。今日のところは十分な収穫を得た。かれは個室に戻り、かぎをかけて「呼出」ボタンを押した。


田島翔吾は病床に横たわり、さきに聞いた内容を思い出していた。

母は生きている。院長はお母さんに、おれが意識を失ったと嘘をつき、おれに、お母さんが死んだと嘘をついた。

おれたちはメンエキリョクが弱っていて、外に出ると死んでしまう。このメンエキリョクという聞きなれない単語の意味を考えた。最後の「リョク」は「力」のことだろう。だから「弱る」という言いかたにも違和感がない。

しかし、メンエキの意味が分からなかった。かれは、それがひとつの単語で、ふたつの漢字からなると推測した。最初の一字はメンと読む。麺、綿、面と思いつくかぎりの漢字を記憶から堀り起こしたが、納得のいくものは見つからなかった。つぎに、かれは脳内にエキと読む漢字を一覧しようとした。しかし、液という字しか見つけることができなかった。

かれは思った。漢字とその意味が並び、目的の漢字を読みから探せる本があれば、どれだけいいだろうか!

つぎに考察しなくてはならない謎は、「七階のコレクション」だった。七階になにがあるのか? 今夜、現地調査しよう。かれはそう思った。

消灯を知らせる鐘が鳴り、それぞれの病室の蛍光灯に流れる電流がいっせいに断たれた。病棟は静寂と闇につつまれた。

闇は死霊を呼ぶ。この病院で死をむかえた人は毎夜、霊となって廊下に現れる。死霊は患者を見ると、みずからの住む地へ患者を連れて行く。しかし、医師や看護師は死霊に連れられることはない。むしろ死霊のほうから治療を乞うのだ。これが、幼いころから聞かされていた話だ。

病室の扉を開けるにはかなりの勇気を必要としたが、かれは自らにこう言い聞かせた。死霊といえど、死を経たあとの人間に過ぎない。もし死霊に連れて行かれたなら、死の世界で告発を叫べばよい。世界のいたるところで死んだ千万の霊を前に、こう言ってやるのだ──おれはあの院長に人生を奪われた、と。

かれは、みずからの身体を通せるぶんだけ扉を開け、廊下に出た。壁を伝って、エレベータホールの方向へ進んだ。ナースステーションから光が漏れ、窓からは二つの人影が動いているのが見てとれた。かれは、窓の死角となる場所で壁によりかかり、音を聞こうとした。

聞こえたのは、院長と職員の声だった。

「いいか、なにも知らないのがいちばん幸せなんだよ。なにもないのが、いちばんいい」

「だからといって、なんでこんなことをするのですか。健康な子を病気にするなんて!」

「清潔と安全、これが最も大事なことだ。あらゆるけがれから守り、あらゆる危険を防ぐ」

「そうはいっても、汚ないことや危ないことは、人間として生きるにあたって避けることのできないものです。だから、人間をやめさせると?」

「ああ。そのとおり。だから、院内生活の基本的なこと以外は、金輪際患者にしゃべるな」

「でも、それでは生きている意味がないのでは」

「もちろん。生きることをやめてこそ、ほんとうの清潔と安全を享受できる。おまえたちは母親の腹から出て以来、汚ない世界で生きてきた。デンシャに乗ったことは?」

「当然、あります」

「よろしい。デンシャのジョウキャクがみなキップを持っていると思っちゃいかん。ケンビキョウでしか見ることのできない病原体どもは、人間にへばりついてカイサツをすり抜け、疲れを知らず何百キロも旅をつづける。海で泳いだことは?」

「高校時代は、毎日放課後に泳いでいました。学校のまん前が海なのでね」

「その海には、どれほどのウイルスが泳いでいると思う? 海はウイルスの貯蔵庫だ。おまえは青春時代を、ウイルスと泳いで過ごしたのだな」

「そんな言いかたをしなくても──」

「実際、そうだろう。カゼをヒいたことは?」

「もちろん。毎年ヒいてますよ」

「それは、おまえの身体に望ましくない存在が侵入したということだよ。はたして、そんなことがあっていいのだろうか?」

「あっていいに決まっているじゃないですか。生きものとは、そういうものです」

「なら、生きものでなくなればいい。簡単じゃないか。いいか、けがれはほかにもある。人間の心だ。インターネットや、ザッシやシンブンに書きつらねられた悪口雑言を読んだことはないのかね!」

「当然、あります。名の知れたザッシが、一線をほんの越えただけのイッパンジンをぼろくそに叩いたときは、わたしも驚きましたよ。インターネットが出てからは、ケイジバンによるチュウショウが相次いでいますよね。この病院も、とあるケイジバンでは『サイコパス病院』と呼ばれていて、キモダメシだとか言って遊び半分で来る人がいるんです」

「そうだろう。やはりこの世はけがれている」

「もちろん、知っています。ならば、インターネットもカクも、ヒコウキも車も、ぜんぶ無くなっちゃえばいいじゃないですか。文明を後退させればいいんですよ」

「おまえは間違っている。後退ではなく前進だ。文明を前進させるのだ。清潔と安全を文明によって達成する──それがイリョウだ」

「では、はっきり尋ねさせてもらいます。あなたにとってイリョウとは、七階のコレクションにすることですか? 人間をああすることが、イリョウだと言いたいんですか?」

「そのとおりだ」

「私の知っているイリョウは、そんなものではありません」

「イガクブでも教わらないのに、ヤクガクブでは教えないだろう」

「院長は、大学で教わらないことをしているんですか?」

「当然だ。では、おまえは大学で教わったとおりに働いているのかね。大学を出たあと、知識をアップデートしないのかね。現場から学ばないのかね!」

「なにも知らないのがいちばん幸せ、と言ったじゃないですか──」

「われわれは幸せを捨て、けがれと向きあわなければならない。そういう仕事をしているんだ。もう屁理屈はやめろ。いいか、この病院ではわたしが絶対だ。わたしはこの病院を統べたる者。わたしの命令で動け。おまえは、わたしのテンプブンショ入れ兼薬箱でしかないんだ。薬箱に議論をふっかけられてみろ。たまったものじゃないよ」

「わたしはひとりの人間です。独立した脳と感情を持った個人です」

「病院の外ではな! この病院に足を踏みいれれば、おまえは従業員。おまえではないんだよ! 業務に私情を持ちこむな。 わたしの指示にしたがってなしたことは、すべての面においてわたしが責任をとる」

「ケイホウ上は違います。キョウドウセイハンという──」

「おまえはいつからホウリツカになったんだ。よろしい。かりにキョウドウセイハンとやらがあるとしても、事実関係を隠しておけばよい。そのときは、わたしが唯一のハンニンであると述べよう」

「そうですか。では、実際にケンサツが来たときには、院長をつき出しましょう。これで納得できました。明日からも仕事にはげませていただきます。ちなみに、この会話はすべてロクオンしているので、ご心配なく」

静寂のなかを悲鳴がこだました。

「なにをするんですか。やめてください。あなたがいうところの『イリョウ』をするんですか」

「違う。おまえのボイスレコーダーのキオクソウチを、強いデンパでぶっ壊す。おまえに強いデンパを当てる。そうなると、キオクソウチは壊れ、データはすべて消える」

「強いデンパ! それだけはやめてください。ボイスレコーダーはお渡しします。だから──」

「PHS端末も時計も、ぜんぶ出せ。これから金属探知機にかける──おお、こいつでもロクオンしていたんだな。スパイごっこは楽しめただろう。では、おまえにカイコを言いわたす。明日から、もう来なくていい」

「ええ。こんな病院、二度と来るものですか。もっといい就職先をさがします。あなたの生と死が、地獄であらんことを」

「呪わんでもええ。すでに地獄だ」

エレベータの鐘が鳴り、院長は椅子に腰かけた。田島翔吾は床を這って窓の下を通りぬけ、それからふたたび壁をつたって移動した。

壁の向かいにあるエレベータへ行くには、また床を這う必要があった。そして十秒かけて身体を起こし、ボタンに手を伸ばした。

エレベータの乗降扉が開いて、かれはかごのなかに入った。手すりにつかまりながら「七」と書かれたボタンを押した。かごが上昇していることが感じられた。

ふたたび乗降扉が開いたとき、その向こうは広い空間だった。かれは、これがひとつの病室であることに気づいた。

患者は病床に横たわり、機械につながれていた。闇のなかに電子音がこだまするだけだった。

かれは病床の手すりをつかみながら進んだ。

かれの真後でエレベータの鐘が鳴った。どきりとした。

目の前が一気に明るくなり、目がくらんだ。かれの心臓は、恐怖のために停止する寸前だった。

「ついに見つけてしまったな」院長の声だった。

田島翔吾は、想像できるあらゆる責め苦をわずか半秒のうちに想像した。そのすべてを覚悟せよと、みずからに言いきかせた。しかし、その半秒後に、責め苦がないことを告げられた

「そんなに怖がらなくてもいい。これを見てしまったからには、すべてを話さなきゃいけない。わたしは、きみを苦しめるつもりも、殺すつもりもない」

院長は田島翔吾を抱きかかえ、椅子に座らせた。

「田島くん、この部屋についてどう思う?」

「怖いです。なんだか死んでいるようで、そして機械がたくさんあって」

「きみは誤解している。この部屋にいるのは、おそらく地球上でもっとも幸せな人たちだ」

「なぜ幸せだと思うんですか?」

「病原体から守られ、栄養を補給され、床ずれを防ぐ特殊なベッドでずっと眠っている。これが幸せというものだ。これがイリョウだ。これが文明だ」

「イリョウとはなんでしょうか?」

「そうだったか。きみはイリョウという言葉を知らない」そう言って、院長は紙と万年筆を取り出し、「医療」と書いた。

「これがイリョウを漢字で書いたものだ。どちらの漢字も、『癒す』とか『病気を治す』という意味になる」

「あんたの信じている医療は、漢字の意味と違っている。ずっと病気のままにしておくんですからね」

「漢字は何千年も前に生まれた。現代文明の萌芽さえ見られなかった時代だ。いまの言葉にはいまの意味がある。さて、このベッドに寝るのはいったいだれだと思う?」

「わかりません」

「きみとおなじような患者たちだよ」

田島翔吾の心臓は、ふたたび恐怖に鼓動を速めた。おれとおなじように──秘密をあばいたり、反抗的な態度を示した患者のことか?

「きみと同じように、病気になって入院している患者たちだ。さて、きみは病室に戻ったあと、おなじ部屋の子にこのことを話すかね?」

かれは、すぐに答えることができなかった。同室の療友に告げなければ、ここまで謎を解き明かした意義はない。でも、告げてしまえば療友に危害が加えられるかもしれない。

「きみがここで否と答えたところで、なんの意味もない。わたしは、納得した人だけを幸せな眠りにつかせる。ここにいる世界一の幸せ者たちは全員、わたしの説明を聞いて同意したのだ。いずれにせよ、きみの病室の人たちを、明日の午後六時に七階に運ぶ。それまでに病院を出た者は、七階には来ない。だが、これだけは言っておこう。この清潔で安全で快適な病院を出るということは、みずから死を選ぶことと寸分の違いもない」

「なぜですか? 病院の外でも人は生きています。街を歩き、車を走らせ、本を読み──」

「きみは、病院の外で生きていく方法を知らない。きみの頭も、身体も。せいぜい二百冊の本におさまる知識だけで、なんの職能もないきみが、どうやって金を稼げる? どうやってトウヒョウするセイトウを選ぶ? 巨大な現代社会の政治と経済を知らずに、生きていけると思うな」

「いや、生きていける。図書館に行けば、本がたくさんあるはずだ」

「無理だね。眠る場所はどうやって確保する? たとえ図書館の軒下で眠ることができたとして、日々の食べものはどうやって手に入れる? 金がないと買えないぞ。ああ、もちろん図書館は、きみを雇ってはくれないよ」

「小説に書いてあった。働けなくても、役所に申請すれば、生きていくために最低限のお金はもらえるんだろう」

「いいかね、きみは申請の方法も、食べものを買う方法も知らない。家を借りることもできない」

「申請の方法なら、小説に細かく書いてあった。食べものを買う方法もだ。家がないなら、カプセルホテルに泊まればいい。そのあいだに図書館に行って、家を借りる方法を調べる」

「まったく、なんということだ。いらない本を置きすぎた。ああ、それから、きみの行く手をはばむのは、金だけではないからな」

「ほかに、なにがあるんだ」

「きみはずっと横になっていたせいで筋力が衰えていて、歩くことができない。それにほんらい、身体はメンエキリョクというものを持っている。きみはそれを二十年以上も使っていない。きみのメンエキリョクは、もう衰えている。病原体に対抗する力だ。つまり、きみの場合は、長いあいだ病原体に触れていない。だから病原体に対抗できず、死んでしまう。外には病原体がうじゃうじゃいる」

「じゃあ、外に出ると」

「きみは、すぐに死んでしまうね。きみは、そうなっているんだよ」

「それは、あんたがそうしたからだ!」

「いや、文明とはこういうものだ。わたしだって文明を離れては生きていけない。わずか百年前の村落でさえ、現代人が生きることはできないだろう。いまと比較すれば、不衛生で危険で、しかも高度な技能を必要とするからね。そして百年後の人間もまた、現代の都市で生きることはできないだろう。文明は前進する。だが、そのなかにいる一人ひとりは、むしろ後退する。文明ぜんたいでみれば、われわれはかつて知らなかったことを知り、不可能だったことが可能になった。しかし、文明を構成する一人ひとりでみれば? かつての人間が知っていたことをいまの人間は知らず、可能だったことは不可能になった。きみの病室は、現代文明の進化形だ。そして七階の病床は、そのさらに進化形ということだ」

「あんたの文明論はどうだっていい! おれが子どものころ、あんたはおれを病気にした! そのせいで──」

「いいかね、なんども繰り返すが、これが文明というものなのだよ」

「なんで、こんなことをしたんだ!」

「では、われわれの先人はなぜ文明を発達させた? 医療を進歩させた? 結局、そういう問題なのだ。清潔と安全こそが、文明であり医療なのだ」

「文明論はもうごめんだ! あんたは、おれの幼年時代と青春を奪った!」

「なんど言えばわかる? きみの幼年時代と青春を奪ったのは、わたしじゃない。文明だよ。わたしがなにもしなくても、きみの望む人生はなかっただろう」

「さっきから文明、文明と・・・・・・文明の研究者にでもなればいいじゃないか! なぜあんた個人が、健康だったおれをあえて病気にしたのか。おれが聞きたいのは、それだけだ」

「それがわたしの仕事だからだ!」

「じゃあ、それはだれに依頼された?」

「文明だよ。文明が望むことをしたまでだ。医療とはそういうものだ。これで納得できたかね」

「いや、納得できない。あんた個人は、なぜおれを病気にした──あんた個人として?」

「個人だと? これは医療だ。純粋芸術じゃない。医療に個人など存在しない。文明が望むことをしなくちゃならないんだ。純粋芸術はしばしば文明に反抗するが、そういった芸術家は飢えて食べていけなくなる」

「あんたの責任はどうなる?」

「文明の意思に従ったまでだ。だから文明の責任だ。わたしじゃなく、百年、千年と続いてきたこの文明が責任を負う」

「文明とは、人間がつくるものじゃないのか? 一人ひとりが、文明をになうのではなかったのか? おれが読んだ本では──」

「いらない本を置きすぎたな。わたしは若いころ、この文明がどこへ進むのかを考えていた。高校三年の終わりころだ。医学部の合格通知を手にして、心にずいぶんと余裕ができた。だから、あれこれ考えていたんだ。いったい、われわれはどこへ行くのか? そして答えにたどりついた。あさっての方向だ! この文明は大きくなりすぎた。もはや制御不能だ」

「じゃあ、あんたには責任がないというのか?」

「いい例えがある。きみは幼児用の歩行器を知っているかね?」

「はい」

「では、十の何乗個もの歩行器が連結して、正方形の隊形をなしているとしよう。その歩行器で歩いているのはみな大人で、歩行器は鉄でできている。この歩行器隊にいる一人ひとりは、隊が進む方向に歩かなくてはならない。さもないと足をもぎとられるか、歩行器から外れて隊に踏みつぶされる。この場合、歩行器にいる人は、歩行器隊の前途にたいして責任があるといえるかね?」

「はい。歩行器隊にいる一人ひとりは、たとえ死んでも、隊が行くべからざるところへ行かぬようにする義務があります。一人ひとりは隊の一員であり、隊の前途に責任を負っています」

「ほう。なかなか立派なご意見だな。だが、よく考えてみよ。どうやって、その責任とやらを果たすのだ? どうやって、個人の意思を隊の前途に反映するのだ? みんながばらばらな方向に進もうとしたら、たくさんの足がもぎとられて一面血まみれの惨事になる。だから、隊ぜんたいで前途を一致させなくてはならない。でも、どこへ行くべきかを議論することはできない。チメイすら知らずに、どうやって話しあえと? なにかの拍子に隊が動いたら、その方向へ足を進めるしかないんだ。これが文明というものだよ。納得できたかね。もう病室に戻りなさい。きみの今後については、明日考えればいい」

「もう考えた。おれは病院を出る」

「踏みつぶされて死ぬ。よろしい。これがきみの意思なのだね」


翌朝、田島翔吾はいつもどおり目を覚ました。

昨夜のことははっきり覚えていた。かれは、逃亡の前になさなければいけないことを心得ていた。みなが目を覚ましていることを確かめると、病室じゅうに聞こえるように呼びかけた。

「みんな、聞いてほしいことがある」

十一人の視線がかれに向けられた。かれは続けた。

「おれたちは、もともと健康だった。それを院長は、あえて病気にした。やつはめちゃくちゃな思想に動かされ、おれたちを病院に閉じ込めたんだ。そして、院長はおれたちを意識不明にさせて、機械につないで眠らせようとしている。やつはおれの幼年期と青春を奪った。そして人生まで奪おうとしている! おれはやつらの会話をこっそり聞いたんだ。それだけじゃない。昨日は院長から直接、こっそりではなく面と向かって聞いた」

「そのことは、すでに知っているよ」塩沢雅也が言った。

「翔吾くん。こんな簡単なことにも、めんどうな調査をしないと気づけないのか? みんなもとは健康だった。先生があえて病気にした。こんなこと、二たす二が四だというのとおなじで、だれだって分かるさ。きみにとって、これは死角になっていたんだろうがね」

「知っていたら、なぜみんなに知らせなかった? なぜ逆らわなかった? いいか、今日の午後六時までに病院から出なければ、おれたちは七階の機械につながれるんだ! おれはこの病院から出ていくし、みんなにもそうしてほしいと思う。まずは図書館を探そう。それから、生きる方策を考えればいい。おれについていきたい者は、手をあげてくれ」

静寂のなか、十一人の両腕はすこしも動かなかった。

塩沢雅也が、静寂を破って声を発した。

「ここにいたほうが幸せなんだよ、きみのような変わり者でないかぎりね。この病院はいいところだ。夏の暑さも、冬の寒さもない。なにもしなくても一日三食が運ばれてくる。歩くことも、字を書くことも必要ない。これほど幸せなことがあるか?」

田島翔吾は、ただひとり手すりをつたって廊下を移動していた。二十余年もの時をともにした仲間のうち、かれの意見に賛同する者は一人としてなかった。

エレベータホールには、院長が立っていた。かれは田島翔吾を抱き起こすと、エレベータに乗せた。

行先階ボタンには、一階がなかった。院長は、二階のボタンを押した。かれはPHS端末を取り出して、こう言った。

「用事があるので、一旦出てくる。戻るのは二時間後だ」

二階に着くと、かれは田島翔吾とともに小さな部屋に入った。田島翔吾は、扉が厚いことに気づいた。そして、部屋の奥にもうひとつ扉があった。

院長は扉を閉め、ボタンを押した。空気が流れる音が聞こえた。

「田島くん。この部屋はなんだと思う?」

「わかりません」

「これは防疫区画と外部とを隔てる部屋だ。防疫区画とは、きみが二十年あまりを過ごした空間のことだ。そこに菌やウイルス、ほこりや花粉といったものが入らないようにしている。防疫区画から出るときは十分もかからないが、入るときは一時間半かかる」

院長は下着を除くすべての衣服を脱いでかごに入れた。PHS端末と手帳をポケットから取り出すと、それらをもうひとつのかごに入れた。そして、きれいにたたまれた衣服一式を机上から取りあげると、それを着た。

「内側と外側では、服も分けなきゃいけない。きみは二度と内側に戻ることはないから、着替える必要はない」

奥の扉が開いた。院長は田島翔吾を連れて出ると、ふたたび扉を閉めた。左右に二つずつ扉があり、奥にも扉があった。

「ここはシャワー室だ。戻ってくるときはシャワーを浴びて、全身を洗わなくてはならない」

院長が奥の扉を開けた。そしてかれらは進んだ。

「ここは所持品検査室だ。危険なものを持ち込もうとしていないか確認される。出るときには確認はいらない」

院長はマスクをつけた。

「外に出るときは、特殊なマスクをつけなくてはならない。さもないと、招かれざる客を連れ帰ることになる。きみは二度と戻らないから、マスクは必要ない」

そして、かれらはエレベータで一階に下りた。

一階には、年齢も服装も異なる人がたくさんいた。

「ここには、二種類の人間がいる。ひとつめは、われわれのように病院で働いている人。ふたつめは、病気やけがを治してもらいに来た人。ここには、たくさんの病棟がある。外で生きていて病気やけがをした人は、きみたちとはべつの病棟に行く。さあ、出口はあっちだ」

大きな扉から向こうに進むと、そこは病院の外だった。

「ここからは、わたしは関与しない」

そう言って、院長は田島翔吾を手すりにつかまらせた。院長はさびしそうな表情でかれを見つめていた。

田島翔吾は、手すりをつたって道路に出ると、腹ばいになって進んだ。

かれは図書館に行こうと思った。図書館には本があり、さまざまな知識を得られる。自分の出発点としてもっともふさわしいように思えた。それに、もしかしたら母親もいるかもしれないのだ。

だが、十メートルも進んだだけで入院着は破れ、手と膝はすり剥けて血だらけになった。かれは叫んだ。

「図書館! 図書館! 図書館はどこだ!」

かれの後ろから車が近づいてきた。這って移動するかれは、運転席からの死角にいた。

運転しているのは、かれと同い年の青年だった。運転手は、前輪がなにかを踏んだことを感じ、急制動をかけた。

車を降りると、後輪のさらに後ろに血まみれの体があった。四半世紀にわたって生きた田島翔吾の肉体だった。

「事故です! 病院、病院に!」運転手は顔面蒼白になってわめいた。院長は、それを満足げに見つめていた。

留意事項

筆名について

私が本作品で用いている筆名「池田笠井闘志」は、本名「笠井闘志」に、離婚した父の姓「池田」を付したものです。父方の家系への敬意を示すため、「池田」を付しています。

クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 パブリック・ライセンス

ライセンスされた権利(定義は後述します)の行使により、あなたは、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際 パブリック・ライセンス(以下「パブリック・ライセンス」といいます)の条項に規律されることを受諾し、同意します。本パブリック・ライセンスが契約と解釈されるであろう範囲において、あなたはこれらの利用条件のあなたによる受諾と引き換えにライセンスされた権利を付与されます。そして、許諾者は、あなたに対し、それらの条項のもとでライセンス対象物を利用可能にすることから許諾者が受領する利益と引き換えに、そのような権利を付与します。

第1条 定義

  1. 「翻案物」とは、著作権およびそれに類する権利の対象となり、ライセンス対象物について許諾者が有する著作権およびそれに類する権利に基づく許諾が必要とされるような形で、翻訳され、改変され、編集され、変形され、またはその他の方法により変更されたマテリアルで、ライセンス対象物から派生したか、またはライセンス対象物に基づくものを意味します。本パブリック・ライセンスにおいては、ライセンス対象物が音楽作品、実演または録音物で、これらが動画と同期させられる場合には、翻案物が常に作成されることになります。
  2. 「翻案者のライセンス」とは、翻案物に対してあなたが寄与した部分に生じる、あなたの著作権およびそれに類する権利について、本パブリック・ライセンスの条項に従って、あなたが適用するライセンスのことをいいます。
  3. 「表示-継承互換ライセンス」とは、本パブリック・ライセンスと本質的に同等であるとクリエイティブ・コモンズによって正式に承認された、creativecommons.org/compatiblelicensesにおいて列挙されたライセンスのことをいいます。
  4. 「著作権およびそれに類する権利」とは、その権利がどのように名づけられ、または分類されるかにかかわらず、著作権および/または著作権に密接に関係する類似の権利をいいます(実演、放送、録音物、およびデータベース権を含むが、これに限られません)。本パブリック・ライセンスにおいては、第2条(b)(1)および(2)において規定される権利は、著作権およびそれに類する権利ではありません。
  5. 「効果的な技術的保護手段」とは、1996年12月20日に採択されたWIPO著作権条約第11条、および/または類似の国際協定の義務を満たす諸法規の下で、正当な権限なしに回避されてはならないものとされる諸手段をいいます。
  6. 「例外および権利制限」とは、ライセンス対象物をあなたが利用する場合に適用される、フェアユース、フェアディーリングおよび/または著作権およびそれに類する権利に対するその他の例外もしくは権利制限をいいます。
  7. 「ライセンス要素」とは、クリエイティブ・コモンズ・パブリック・ライセンスの名称中に表示されているライセンスの属性をいいます。本パブリック・ライセンスのライセンス要素は、表示および継承です。
  8. 「ライセンス対象物」とは、許諾者が本パブリック・ライセンスを適用した美術的または文学的著作物、データベース、またはその他のマテリアルを意味します。
  9. 「ライセンスされた権利」とは、本パブリック・ライセンスの条項に基づき、あなたに与えられる権利をいい、かかる権利は、あなたによるライセンス対象物の利用に適用され、かつ、許諾者がライセンスする権限を有する、全ての著作権およびそれに類する権利に限定されます。
  10. 「許諾者」とは、本パブリック・ライセンスのもとで権利を付与する個人または団体を意味します。
  11. 「共有」とは、複製、公開の展示、公開の上演・演奏、頒布、配布、通信または輸入のような、ライセンスされた権利に関する許諾を必要とするような手段または手法により、公衆に対しマテリアルを提供すること、および、公衆がマテリアルを利用できるようにすること(公衆の各人が、自ら独自に場所および時間を選択してマテリアルにアクセスすることができる方法を含みます)を意味します。
  12. 「データベース権」とは、データベースの法的保護に関する1996年3月11日の欧州議会および理事会指令 96/9/ECの結果として生じた、著作権以外の権利、(この指令が修正および/または継承された場合それらを反映したもの)、および、世界中の本質的に同等な権利を意味します。
  13. 「あなた」とは、本パブリック・ライセンスのもとでライセンスされた権利を行使する個人または団体をいいます。「あなたの」もそれに対応した意味となります。

第2条 範囲

  1. ライセンス付与
    1. 本パブリック・ライセンスの条項に従い、許諾者はあなたに対し、ライセンス対象物について、以下に掲げるライセンスされた権利を行使できる全世界的な、無償、再許諾不可、非排他的、かつ取消不可なライセンスを付与します:
      1. ライセンス対象物の全部または一部を、複製および共有すること、ならびに
      2. 翻案物を作成、複製および共有すること
    2. 例外および権利制限 誤解を避けるために記すと、例外および権利制限があなたの利用に適用される部分については、本パブリック・ライセンスは適用されず、あなたは本パブリック・ライセンスの条項に従う必要はありません。
    3. 有効期間 本パブリック・ライセンスの有効期間は第6条(a)にて規定されます。
    4. 媒体および形式;許可される技術的改変 許諾者は、あなたに対し、あらゆる媒体や形式(現在知られているか、または今後作られるか否かを問いません)において、ライセンスされた権利を行使する権限、およびその行使に必要とされる技術的な改変を行う権限を付与します。許諾者は、あなたが、ライセンスされた権利を行使するために必要とされる技術的な改変(効果的な技術的保護手段を回避するために必要とされる技術的な改変を含みます)を禁止するいかなる権利または権限を放棄し、および/またはこれらの権利または権限を行使しないことに同意します。本パブリック・ライセンスにおいては、本第2条(a)(4)により認められる改変をするだけでは翻案物を作り出すことにはなりません。
    5. ダウンストリーム(下流側)の受領者
      1. 許諾者からの申し出-ライセンス対象物 ライセンス対象物の受領者は、許諾者から本パブリック・ライセンスの条項の下でライセンスされた権利を行使できるという申出を自動的に受け取ります。
      2. 許諾者からのその他の申し出-翻案物 あなたから翻案物を受領した者は、あなたが適用した翻案者のライセンスの条件にしたがった翻案物におけるライセンスされた権利を行使できるという申出を自動的に許諾者から受け取ります。
      3. ダウンストリーム(下流側)への制限の禁止 あなたは、ライセンス対象物の受領者がライセンスされた権利を行使するのを制限されることになる場合には、ライセンス対象物に対して、いかなる追加条項または異なる条項も提案または課してはならず、あるいは、いかなる効果的な技術的保護手段も適用してはなりません。
    6. 支持表明がないこと 許諾者または第3条3(a)(1)(A)(i)に定められている許諾者以外のクレジット表示の対象として指定されている者が、あなたまたはライセンス対象物のあなたによる利用について、関連している、援助・支持している、あるいは正式な地位を付与している、と主張または示唆することを本パブリック・ライセンスは許諾しておらず、またはそのように解釈されてはなりません。
  2. その他の権利
    1. 同一性保持の権利のような著作者人格権は、本パブリック・ライセンスのもとではライセンスされません。パブリシティ権、プライバシー権、および/または他の類似した人格権も同様です。ただし、可能なかぎり、許諾者は、あなたがライセンスされた権利を行使するために必要とされる範囲内で、また、その範囲内でのみ、許諾者の保持する、いかなるそのような権利を放棄し、および/または主張しないことに同意します。
    2. 特許権および商標権は本パブリック・ライセンスのもとではライセンスされません。
    3. 可能なかぎり、許諾者は、ライセンスされた権利の行使について、直接か、または任意のもしくは放棄可能な法定のもしくは強制的なライセンスに関する仕組みに基づく集中管理団体を介するかを問わず、あなたからライセンス料を得るいかなる権利も放棄します。その他一切の場合において、許諾者はそのようなライセンス料を得るいかなる権利も明確に保持します。

第3条 ライセンス利用条件

ライセンスされた権利をあなたが行使するにあたっては、以下に記載された諸条件に従う必要があります。

  1. 表示
    1. あなたがライセンス対象物(変更されたものを含む)を共有する場合は以下のことを行う必要があります:
      1. ライセンス対象物と共に許諾者から提供されていれば、以下のものを保持すること。
        1. ライセンス対象物の作者その他クレジット表示される者として許諾者によって指定されている者を識別する情報を、いかなる形であれ許諾者によってリクエストされた形が合理的である場合はその形で(指定されている場合は仮名も含む)
        2. 著作権表示
        3. 本パブリック・ライセンスを参照する表示
        4. 「無保証」を参照する表示
        5. 合理的に実施可能な場合には、ライセンス対象物のURIまたはライセンス対象物へのハイパーリンク
      2. ライセンス対象物を改変した場合はその旨を記し、従前の改変点についての表示も保持すること。
      3. ライセンス対象物が本パブリック・ライセンスに基づきライセンスされていることを示すこと、および、本パブリック・ライセンスの全文またはそのURIか本パブリック・ライセンスへのハイパーリンクのいずれかを含めること。
    2. 第3条(a)(1)の条件は、あなたがライセンス対象物を共有する媒体・方法・文脈に照らして、いかなる合理的な方法でも満たすことができます。例えば、必要とされる情報を含むリソースのURIやハイパーリンクを付すことで条件を満たすことが合理的な場合があります。
    3. 許諾者からリクエストされれば、あなたは第3条(a)(1)(A)に掲げるいかなる情報も合理的に実施可能な範囲で削除しなければなりません。
  2. 継承
    第3条(a)の条件に加えて、あなたが作成した翻案物をあなたが共有する場合、以下の条件も適用されます。
    1. あなたが適用する翻案者のライセンスは、本パブリック・ライセンスと同じバージョンもしくはそれ以降のバージョンの、同じライセンス要素を有したクリエイティブ・コモンズ・ライセンス、または表示-継承互換ライセンスでなければなりません。
    2. あなたは、あなたが適用する翻案者のライセンスの全文またはそのURIかそのライセンスへのハイパーリンクを含めなければなりません。あなたは、あなたが共有した翻案物における媒体、手段および文脈に基づくいかなる合理的な方法によっても、この条件を満たすことができます。
    3. あなたは、翻案物に対し、あなたが適用する翻案者のライセンスによって付与される権利の行使を制限するような、いかなる追加のもしくは異なる条項も提案しもしくは課すことはできず、またはいかなる効果的な技術的保護手段を適用することもできません。

第4条 データベース権

ライセンスされた権利にデータベース権が含まれており、ライセンス対象物のあなたの利用に適用される場合:

  1. 誤解を避けるために記すと、第2条(a)(1)に従い、データベースの全てまたは実質的な部分のコンテンツの抽出、再利用、複製または共有をする権利をあなたに与えます。
  2. あなたがデータベース権を持つデータベースに、あなたが、本データベースのコンテンツの全てまたは実質的な部分を含める場合、あなたがデータベース権を持つデータベース(ただし、個々のコンテンツではありません)は翻案物となります(同じことが第3条(b)における翻案物の判断にもあてはまります)。
  3. あなたは、データベースのコンテンツの全てまたは実質的な部分を共有する場合は、第3条(a)の条件に従わなくてはなりません。

誤解を避けるために記すと、本第4条は、ライセンスされた権利が他の著作権およびそれに類する権利を含む場合の本パブリック・ライセンス下でのあなたの義務に追加されるものであり、置き換えるものではありません。

第5条 無保証および責任制限

  1. 許諾者が別途合意しない限り、許諾者は可能な範囲において、ライセンス対象物を現状有姿のまま、現在可能な限りで提供し、明示、黙示、法令上、その他に関わらずライセンス対象物について一切の表明または保証をしません。これには、権利の帰属、商品性、特定の利用目的への適合性、権利侵害の不存在、隠れた瑕疵その他の瑕疵の不存在、正確性または誤りの存在もしくは不存在を含みますが、これに限られず、既知であるか否か、発見可能であるか否かを問いません。全部または一部の無保証が認められない場合、この無保証はあなたには適用されないこともあります。
  2. 可能な範囲において、本パブリック・ライセンスもしくはライセンス対象物の利用によって起きうる直接、特別、間接、偶発、結果的、懲罰的その他の損失、コスト、出費または損害について、例え損失、コスト、出費、損害の可能性について許諾者が知らされていたとしても、許諾者は、あなたに対し、いかなる法理(過失を含みますがこれに限られません)その他に基づいても責任を負いません。全部または一部の責任制限が認められない場合、この制限はあなたには適用されないこともあります。
  3. 上記の無保証および責任制限は、可能な範囲において、全責任の完全な免責および免除に最も近いものとして解釈するものとします。

第6条 期間および終了

  1. 本パブリック・ライセンスは、ここでライセンスされた著作権およびそれに類する権利が有効な期間、適用されます。しかし、もしあなたが本パブリック・ライセンスに違反すると、本パブリック・ライセンスに定めるあなたの権利は自動的に終了します。
  2. ライセンス対象物をあなたが利用する権利が第6条(a)の事由により終了した場合でも:
    1. あなたが違反を発見してから30日以内に違反を是正した場合に限り、違反を是正したその日に、自動的に復活します。または、
    2. 許諾者により権利の復活を明示された場合に、復活します。

    3. 誤解を避けるために記すと、本第6条(b)は、許諾者が、あなたの本パブリック・ライセンスに関する違反に対する救済を求めるために有するであろういかなる権利にも影響を及ぼしません。
  3. 誤解を避けるために記すと、許諾者は、いつでも、別の条項の下でライセンス対象物を提供したり、ライセンス対象物の配布を停止することができます。しかし、その場合でも、本パブリック・ライセンスは終了しません。
  4. 第1条、第5条、第6条、第7条、第8条は、本パブリック・ライセンスが終了してもなお有効に存続します。

第7条 その他の条項

  1. 許諾者は、明確に合意しない限り、あなたが通知するいかなる追加のまたは異なる条項にも拘束されません。
  2. ライセンス対象物に関する取り決め、了解事項または合意でここに言明されていない一切のものは、本パブリック・ライセンスの条項とは切り離され、独立したものです。

第8条 解釈

  1. 誤解を避けるために記すと、本パブリック・ライセンスは、本パブリック・ライセンスによる許諾に基づかない、ライセンス対象物のいかなる合法的な利用も縮小したり、限定したり、制限したり、条件を課したりするものではなく、またそのように解釈されてはなりません。
  2. 可能な範囲で、本パブリック・ライセンスのいずれかの規定が執行不能とみなされた場合には、本パブリック・ライセンスは、執行可能とするために必要最小限度の範囲で自動的に変更されます。もしある規定の変更が不可能な場合には、その他の条項の執行可能性に影響を与えることなく、当該規定は本パブリック・ライセンスから切り離されます。
  3. 本パブリック・ライセンスのいかなる条項も、許諾者の明確な合意なしには、放棄されることはなく、また、順守しないことに同意することはありません。
  4. 本パブリック・ライセンスのいかなる条項も、許諾者やあなたに適用される、あらゆる特権や免責(司法権や当局の法的手続からの特権や免責を含む)に対する制限や放棄を構成するものではなく、またそのように解釈されるものではありません。
  5. クリエイティブ・コモンズは、クリエイティブ・コモンズ・パブリック・ライセンスの当事者ではありません。ただし、クリエイティブ・コモンズは、自らが公開するマテリアルに、自らのパブリック・ライセンスのいずれかを適用すると決定することができ、その場合には許諾者とみなされます。クリエイティブ・コモンズ・パブリック・ライセンスの文章はCC0パブリック・ドメイン宣言のもとで提供されています。本マテリアルがクリエイティブ・コモンズ・パブリック・ライセンスで共有されていることを公衆に示すという限られた目的の場合、またはcreativecommons.org/policiesで公表されているクリエイティブ・コモンズの方針に基づいて許容される場合を除き、クリエイティブ・コモンズは、クリエイティブ・コモンズとの事前の書面による同意なしに、「クリエイティブ・コモンズ」の商標や関連商標もしくはクリエイティブ・コモンズのロゴを使用することを認めていません。ここで認められていない使用には、クリエイティブ・コモンズのパブリック・ライセンスの許可されていない改変との関係での利用、その他のライセンスされたマテリアルの利用に関するいかなる取り決め、了解事項または合意との関係での利用を含みますが、これらに限られません。誤解を避けるために記すと、この項はパブリック・ライセンスの一部ではありません。

    クリエイティブ・コモンズにはcreativecommons.orgから連絡することができます。

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