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STAY OFFLINE−−インターネットに常につながっている必要はない

2023-01-18

STAY OFFLINE. インターネットに常につながっている必要はない。

「このご時世になにを言っているんだ」という声が聞こえてきそうだ。たしかに,いまはIT化が叫ばれている時代である。

しかも,コロナ禍はまだ終わっていない。対面での接触を避ければ,感染を防げると言われている。

それでも私は,いまの急激なIT化を手放しで賞賛することはできないし,個人が常にインターネットにつながっていることをよいとは思えない。

常につながっている時代

いまは,個人が常にインターネットにつながっている時代だ。だれもがスマートフォンをポケットに入れて持ち歩き,数秒前に届いたメッセージに返信し,数分前に起きた事件の記事にコメントする。わざわざ机のまえに座ってコンピュータの起動を待つ必要はない。

現代では,オフラインになる時間のほうが圧倒的に少ない。格安航空会社の便に乗るときはインターネットから切り離されるが,それ以外では−−たとえスマートフォンを取り出さなくても−−ポケットの中とインターネットがつながっている。

個人用コンピュータも,近ごろは無線LANを使ってインターネットに接続する。だから,無線LANの範囲内にいるかぎり,コンピュータを開けばすぐにインターネットにつながる。なかには,コンピュータとインターネットの区別がついていない人もいるくらいだ。

自分のコンピュータのなかだけで完結していることと,インターネットに接続しなければできないことは,見分けるのがむずかしくなっている。

常につながっていることの問題点

だが,この流れを肯定することはできない。すくなくとも私自身は,常に接続していたくない。

人間関係

常時接続は,人間関係に悪影響をおよぼす。

たとえば,相手も常時接続しているだろうと思い,なかなか返信が来ないと,「無視された」とか「嫌われた」と誤解してしまうという例はよく聞く。たんに通知に気づいていなかっただけかもしれないし,機器が故障したかもしれないのに。

この問題は,私が生まれた2004年ころからあった。当時の高校生のあいだでは,携帯電話のメールに3分以内に返信しないと,無視とみなし絶縁されるという「3分ルール」というものがあったそうだ。

家族や友人,恋人などとすぐに連絡がとれ,早ければ十秒も経たないうちに返信がくる。これが当たり前になってしまうと,関係にゆがみが生じやすい。

LINEなどのメッセージアプリでは,メッセージを読んだら既読の印がつく。読んだらすぐに返信しないと,無視したと思われてしまうかもしれない。このことが心理的な負担となることもある。

これはよく知られていることだが,文字だけのやりとりで会話のようなことをしようとすると,誤解が生じやすい。後述するデジタル・タトゥーの問題とも共通するが,スマートフォンによる即時的なやりどりは,誤解をまねく文を送ることと,受け取った文を誤解することをまねいてしまう。

文字でのやりとりは,会話ではない。相手の表情も見えないし,相手がどこにいるかも聞きださなければわからない。これが,ふだん対面でしている会話との違いだ。

アマチュア無線には,モールス信号でやりとりする電信というものがある。コンピュータを介した文字のやりとりも,この電信に近いのかもしれない。空中線から飛び出す長短の符号にせよ,信号線を駆けぬける0と1にせよ,受け取る相手の状況を推測して言葉を選ばなくてはならないし,受け取った文から背景を想像しなくてはならない。

よく例としてあげられるのは,こんな事案だ。複数の友人と外出する予定のとき,笠井はなにで来るの?と送ったら,笠井は(呼んでいないのに)なんで来ようとしているんだ?という意味でとらえられてしまった,と。

対面の会話ではないのだから,やりとりにタイムラグがある(即座に返信できない)ことも考え,こう送るべきだったのだ; 笠井,当日,長野駅までの交通手段はなにを使う予定?

プライバシー

プライバシーという視点からみた場合,常にインターネットにつながっていることは,最悪である。

まずあげられるのは,さまざまな監視(Googleなどの大手企業によるものから,個人的なストーカーまで)にたいして脆弱になるということだろう。

Googleなどの大手企業は,広告のために利用者の行動を追跡している。これも,監視対象の個人が常時インターネットに接続されているからこそ,可能になるものだ。

もちろん,個人的な監視にたいしても弱くなる。ストーカーが相手のスマートフォンに監視アプリを入れれば,秒ごとに位置を追うことも,周囲の音声を盗聴することもできるのだ。

自由

自由ソフトウェアという意味だけではなく,基本的人権としての自由や人間の尊厳という意味でも,常につながっていることは自由をおびやかす。端的にいえば,自分が自分でなくなってしまう危険がある。

常にスマートフォンを持ち歩き,少しでも空き時間があればポケットから取り出す。SNSで社会の動向を把握し,インターネット動画を見て暇をつぶす。意識はインターネットの大海,いや,大手IT企業の領海に向けられ,目のまえの現実を見ることはない。

目のまえを過ぎ去るたくさんの自動車,商店に出入りする客,道ばたで談笑する住民。こういったものにだれも見向きもしない。GoogleやTwitter,Meta(かつてのFacebook)といった大企業をとおしてしか,世のなかを見ることができなくなってしまう。

デジタル・タトゥー

インターネットに公開したものは取消せないとはよく言われるが,取消せないのはインターネットだけではない。

口から放った言葉も,交わした契約も,文学フリマで頒布した本も,無線機で送信した電波も,なかったことにはできない。

SNSなどに軽率な投稿をして大規模な非難を浴びる(これを炎上という)事例はよく耳にする。なぜSNSでこのような事例が多いのかというと,投稿や非難があまりにも簡単すぎるからだ。

スマートフォンからSNSに投稿するのは,小さなメモ帳に書きなぐるかのように手軽だ。ポケットから取り出してアプリを起動し,すぐに書きはじめられてすぐに公開できる。この手軽さが問題なのだ。

常にインターネットにつながっていると,自分のメモ帳と公開記事の区別が曖昧になる。メモ感覚で一般に公開してしまう。

一般に公開するのだから,内容はよく考えなくてはならない。誤解をまねかないよう適切な表現を選ぶ必要があるし,場合によっては関連する文献を調べる必要があるかもしれない。

それに,日常のできごとを気軽に投稿していたら,仮名を使っていても自身が特定されるかもしれないし,不要なトラブルをまねく危険もある。

たとえば,プロフィール欄に高校生と書いていて,やべえ長電定期券切れそう。また買わなきゃと投稿したら,長野電鉄を通学に利用している高校生ということが特定されてしまう。

そして日常の不満を,文字どおりつぶやくように投稿したらどうなるだろうか。もちろん批判も浴びるだろうし,不満の対象となった当人から反論されたり,訴えられたりするかもしれない。

友人との外出について本人の同意なく投稿したら,その友人のプライバシーを侵害することになりかねない。どこに誰と行ったかというのも,立派な個人情報である。

常につながっている必要はない

職業や状況にもよるが,たいていの人は常につながっている必要はないと思う。

仕事上の重要な連絡がいつ来るかわからない場合(自営業をいとなむ方で,顧客からの問い合わせを受けなければならない場合など)や,友人と待ち合わせのために連絡をとらなければならない場合などは,インターネットや電話回線に接続されているべきだろう。

しかし,仕事上の連絡も来ない,友人と待ち合わせの約束もしていないとすれば,なぜ常につながっている必要があるだろうか。友人からのたわいもないメッセージは,数時間も放置できないほど緊急の用件なのだろうか。いつも読んでいるブログが1秒前に更新されたとして,それを読むのは翌日ではだめなのか。

個人用コンピュータは,インターネット接続がなくても使用できる。文書を書いたり,表を作成したり,画像を編集したりといった作業には,インターネット接続は不要だ。ソフトウェアを更新したり,作品を公開したり,新着のメールを確認したりする段になってから,LANケーブルを接続すればいい。そして,用件が終わったら接続を切る。

本もウィキもオフラインで読もう

インターネット接続がなかったら,地図や辞書はどうするべきだろう? 何度も読み返したいお気に入りの記事は?

これらはダウンロードして,オフラインで使おう。ウィキペディアウィキブックスなどをオフラインで読めるKiwixというものがある。

かつてKiwixを紹介する記事を書いた。Kiwixを使えば,インターネット接続がなくても自由な百科辞典や教科書の恩恵にあずかることができる。

地図も,オフラインで利用できる。自由に編集および利用できる地図 OpenStreetMapは,Organic MapsOsmAndを導入することによって,オフラインでも利用できる。日本の場合,地図情報は都道府県あるいは地方単位に分割されて配布されているため,保存容量の消費も少なくおさえられる。

個人用コンピュータでは,QGISOSM Scout Serverなどが利用できる。

ウェブ上の記事の場合は,もっと簡単。ブラウザやGNU Wgetでダウンロードしてしまえばいいのだ。ウェブ記事はHTMLという組版記法によって書かれており,対応しているソフトウェアであれば読むことができる。いつも使っているウェブブラウザだって,ハードディスクに保存されたHTMLファイルを読めるはずだ。

RepricantやAndroidでは,KOReaderなどのアプリでHTML文書を読むことができる。

HTMLのほかには,電子書籍むけのEPUBという形式もある。私の書いた小説もEPUB形式で頒布しているし,星空文庫ウィキソースプロジェクト・グーテンベルクなどで公開されている書籍もEPUB形式でダウンロードできる。