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マスメディアは信頼できるのか,考察してみた。

2023-04-03

近ごろのさまざまなできごとや問題について考えたとき,マスメディアを信頼してよいのかと疑問に思ったので,考察してみることにする。

信頼とはなにか?

マスメディアを信頼するか?というときの信頼とはなんだろうか。報道の内容は真実に近いだろうつまり,嘘をつくことはないだろうと信じている,という意味にとらえる方も多いかもしれない。

だが,マスメディア(大衆媒体)において重要なのは,嘘をつくか否かだけではない。

私たちは日々,マスメディアから情報を得ている。マスメディアができごとを報道すれば,それは人々の考えや行動に影響をおよぼす。犯罪事件やコロナにかかわる報道に接して,私用の旅行をとりやめたり,計画を変更したりした方も少なくないはずだ。

個人事業主の方であれ,中小企業であれ大企業であれ,マスメディアの報道によって経営や事業計画を変更することもあるかもしれない。たとえば,迷惑行為の報道に触れ,防犯用の監視カメラを導入したとか,重要な制度変更の報道に触れ,政府当局の公式ウェブサイトにアクセスして詳細を確認したとか。

もしこういった報道がなければ,それによって計画を変更したり,詳細を確認したりといったことはなかったはずだ。もしコロナの感染拡大が報じられなかったら,あるいは現実になされたそれより軽視して報じられていたら,私用の旅行をとりやめなかったかもしれない。もし誘拐事件が報じられなかったら,みずからの幼い子を市街へ送り出していたかもしれない。

いくら重大なできごとが起きていたとしても,報じられなければ広く知れわたることもなく,対策がとられることもない。はたして,マスメディアは,知るべきことをすべて私たちに知らせてくれているのだろうか。マスメディアで報道されないなら,嘘,あるいは重要でないということなのか。これもまた,マスメディアを信頼するか否かということである。

結論をいえば,マスメディアを信頼することは危険だ。

記者の耳に届かないこと

世のなかでは日々,無数のできごとが起きている。いま私がキーボードを打っているこの瞬間にも,刑事は事件を捜査し,救急隊員は傷病者を搬送し,学者はものごとを研究し,作家は本を書いている。殺人や強盗などの事件も起きているだろうし,交通事故だって絶えることはない。

どんな人や組織であろうと,つまり記者であろうと新聞社であろうと,日本で起きているできごとをすべて知ることはできない。

転職ステーションの記事によれば,記者はプレスリリースやタレコミから情報を得るそうである。

プレスリリースとは,自治体や企業などから報道機関に向けた告知のことである。タレコミとは,報道機関にたいしてひそかに情報を提供することである。もちろん,プレスリリースやタレコミをそのまま報じるのではなく,これらをもとに取材して報道する。

官庁などには記者クラブというものがあり,加盟している報道機関にたいして独占的に情報を提供している。

もちろん,記者がなんだかおかしいと感じて,調査をはじめることもあるだろう。

だが,これらによって記者が取材をはじめないかぎり,記事が書かれることもなく,もちろん報道されることもない。神ならざるもの,すべてを知ることはできない。知らないことは,報道しようがない。どれだけ重大なできごとでも,記者が取材しないかぎり,報道されない。

報道できないこと

マスメディアは,記者が知ったことすべてを報道できるとはかぎらない。たとえ記者が取材したいと思っても,上司がそれを許可しないことだってある。記事を書きあげても,掲載を見送られることだってあるかもしれない。下記に例示する

どの価値観にしたがって報道するか

おなじできごとでも,視点や価値観をかえれば,まったく異なって解釈される。

たとえば,スマートフォンを多くの人が持つようになったことは,つぎのように解釈できる。

問題は,マスメディアがどのような視点に立ち,どのような価値観にしたがって報道するかである。ものごとは複雑で多面的だが,ものごとにについて述べるにはなんらかの視点に立つことを余儀なくされる。三次元の物体を写真に撮るとき,なんらかの方向から撮るしかないように。

マスメディアがなにかについて述べることは,これについては,こういった視点・価値観からみるのが正統なのだという含みがあるのだろうか。

私もかつては,マスメディアが述べるところの視点や価値観が正統だと思っていた。マスメディアと異なる視点や価値観からものごとを見るのは,ひねくれた解釈であり,異端であり,陰謀論である,と。

われわれは受け身すぎる

だが,マスメディアにはほんらい,なにが正統かを決める役割はない。政府や企業の発表を伝えるほか,独自に調査して報道するのみである。

かつての私にもいえることだが,人々は情報において受け身すぎる。知るべきことはスイッチひとつて受像機の画面に映り,毎月千円払えば印刷されたものが配達される学ぶべきことは,学校で強制的にでも学ばせられる。そう信じて疑うことはない。

かりにそれを疑ったとしても,情報を得る時間はない。学生は勉学に,社会人は仕事にそれぞれ忙しい。そして貴重な休暇には,いずれの立場にあろうと消費に忙しい。

外出を控えろと言われるコロナ時代でも,例外ではない。家ごもりの休暇は,ゲームやビデオオンデマンド,動画投稿サイトやSNSに費される。

ゲームやビデオオンデマンド,インターネット通販がもてはやされたのは,家にこもらせながらも思考を予防するためではないかと疑ってしまう。人々が思考停止すれば,大企業にとっては都合がいいのだ。なにも考えずに商品を買ってくれるから。

参考文献